インタラクション。

なんかどうしようもない写真が出てくる日だな。
ぎんはいま大手術中(断中)なので酷い状態でお部屋にいます。
この後お化粧も直したいししばらくかかるかもな。
私は作品というものは鑑賞者の内部で再構築されて初めて完成する、
という一定の結論を得てから、人の作品と向き合うのには必要以上に警戒していました。
その辺の話をすると長くなるのだけど。まあ。警戒していたんです。
ただ、ある人々の作品は私の警戒をいとも簡単に解いてしまって、
ああ、これこそが、アレだ、と思ったもんです。
なんかこう、私がずっと言っているアレです。
もう今はそれを説明する体力がないのではしょりますけど。
いわゆる、インタラクションです。
私はひらがなを習う前からもう文章を書きたいと願っていて、
ひらがなを習い、カタカナを知り、漢字を知ると、ひたすら書く事に没頭しました。
そして、そのことが私の人生に影を落としました。まあ、結果として今があるんですが。
でも、だから、私は生まれてこの方、誰にも文章の書き方を習ったことがありません。
小学校の頃の先生は私のことなんか相手にもしてくれませんでした。
塾の先生が教えてくれたのは問題の解き方だけです。
私の日本語は、まったくの独学で、よって立つべきところがない。
私はずっとそう思ってきました。そのことが私の一番のコンプレックスです。
私はいつからだったか、それはつい数年前ですけど、
文章をメインにして発表活動をすることを辞めました。
それは、自分の持つ劣等感に耐え切れなくなったからです。
だから、同じ理由で写真も辞めるかもしれません。
私が私を許せないのはそういうところだ。
解っているし、こうして文章にすることもできます。
でも、だからなんだというのか。それが一体なんだ。だからなんだ。
私はことばをとても大切に扱いたいと願っています。
けれど、願っているだけで、それが出来ない。そのことがとてつもなく、ツラい。
なんだかな。
最近、ある方の文章に触れて、うっかり警戒を解いてしまって、
また自分の、自分にとって許しがたい色々と向き合っているのです。
まさにこの、今私に起こっているこの現象こそが、
私がずっと口先だけで言ってきた、軽々しくことばにしてきた、アレなんです。
犬のことにしたって同じです。
私は結局、そのことが実際に自分の身に起こったらどう思うかなんて、
ちっとも想像できていなかった。口では簡単に言えますけど。
何もわかっていなかった。わかりようがなかった。
そのことを、知ったり、理解したり、飲み込んだりするのは、苦しい。
これがまさにアレだ。
でも、なんか、こんな苦痛ばっかの現象であるはずがないとも、ちょっと思う。
その辺が、かつて泥沼の底で駄々をこねていた時期とは違うところかなぁ。
今日は真白さんにちょっと手加減してもらおう……(甘いw








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