実は雑誌が好きです。

テレビも持ってない、WEBのニュースも大して見ない私の情報源は、Twitterと雑誌と新聞です。
新聞は、Japan Times on Sunday を定期購読で読んでます。
雑誌で定期購読してるのは、TIME と DAYS JAPAN というフォトジャーナリズムの雑誌の2誌。

  

前は、New Internationalist という月刊誌も取っていて、すごく面白かったんですが、
いかんせん、英語の雑誌を読みきれなくなってしまって購読やめてしまいました。
でもあの雑誌は面白かったなー。読み応えがありすぎて断念したぐらい。

定期購読するときは、このサイト愛用してます。
fujisan.co.jpへ
/~\Fujisan.co.jpへ

いくつも定期申し込んでると管理大変だし、自動継続してもらえるから助かる。
新規で申し込むときは特典つけてくれたりするし、何より取り扱い雑誌数がハンパない。
特典っていったって、クリアファイルとかそういうのだけど、
私はクリアファイル一枚貰えるだけで小躍りしますからね……思う壺さ……。

ずっと前は、「雑誌なんか」って思っていたんですが、これがまた読んでみると面白い。
会社の女性が韓流だのジャニーズだのの雑誌を眺めてる隣で、
オヤジくさいと言われながらビジネス誌を読むわけです(笑)
いつも心に修行僧。

定期購読はしてないけど、時々書店で表紙見て買って読むのは、
日経ビジネスと 週刊ダイヤモンドと NewsWeek。

    

このへんも面白いです。
日経ビジネス、週刊ダイヤモンドあたりは、ロボット関係の記事が出ると買ってしまう。
日経ビジネス9月15日号の、スマロボ特集は面白かったです。
バックナンバー置いてある書店もありますので、ロボクラスタは是非見てみてください。
Newsweek は環境問題の特集記事で買うことが多いかも。

あと、昨日ちょっと立ち読みしてどうしても気になって購読してしまったのが、
週刊金曜日っていう雑誌。

これもなかなかクセがあって面白い雑誌です。
たまたま、会社の近所の文教堂には置いてあったけど、書店売りはあまりしてないみたいで、
定期購読が主体の雑誌っぽい。
文教堂で手に入るから別に定期購読しなくてもいいかなーとは思うんだけど、
もしも頻繁に購読するようなら考えてみようかなーっていうぐらい。

まあ、こうやって雑誌をたくさん読んでると家にたまるわけですけど、
私は全部をきちんと保存しておく趣味は無いです。
でも一応、半年分ぐらいは残しておいて、1日~2日がかりでバーッと見直して、
気になる記事をビリビリ破いてはポイポイ投げ込む場所を作ってます。
で、そのときに別に気にならなかった箇所は今後も絶対気にならない、と割り切って、
資源ごみの日にまとめて出してしまいます。
「いつか気になるかも」っていう不安はいつもあるんですけど、
そうやって保存しておいた記事ですら見直すことってほとんどないので(笑)
そのときに気にならなかった情報なんか、今後一切気になるわけがない。

これに加えて、ハードカバーとか文庫の小説とか新書とか、資格の教科書とか薄い本とか、
ほんとに色々読んでるので、本当はそれと同じくらいアウトプットしないといかんのですよね。
そんなことはわかってるんですけど。わかってるだけじゃーしょうがないんだよね。

今週はどうにもストレスが多くて、人の話を聞かない為にアレコレ読み物を探していたんです(^^;)
こういう……責任転嫁(笑)するみたいなのほんとよくないわ……。でも円滑な人間関係のためには……。
昨日はほんとに疲れ果ててしまって、また稲城温泉に行ってました。ポイントカードまで作った。
この時期の露天風呂はクセになりますねー。虫の音を聞きながら、月を見ながらぼんやり。
やっぱり、同じ感じでずーっと空を見上げながらぼんやりしてるお姉さんが何人かいましたw
お疲れ様です……。

ギブソン沼。

J・J・ギブソンの考え方に出会ったのは、
たぶんジュンク堂で開催されたトークセッションが初めだったと思う。
東大出版のエコロジカル・ターンシリーズの刊行記念か何かで。
ありゃほんとに「こ・れ・で・す!!!!」っていう衝撃だったんだな……。
これに出会わなかったら私の考え事なんか停滞したまんまでした。

で、あまりにもドンピシャなので、できるだけ本読まないようにしてる(謎。
だって読めばどんどん読めちゃう上、読みたい本山ほどあるのに、
どれもこれもデカくて分厚くて高いわけよ……。
線引き、書き込みしたいから図書館で借りるわけにいかないし、
なにより自分の本として持っておきたいし、辛抱たまらんわけです。

気を抜くとどっぷりはまっちゃって抜けられなくなるので、
出来るだけあんまり読みたくないけど読んでおきたい本を片付けて、
その後のお楽しみに取っておこうと思ってるんですけどね。
でも、読みたくないけど読んでおきたい本も割りと溜まるので……。
ときどき自分を甘やかして、ギブソン方面に手を出すと、ジ・エンド。

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本日のお迎え。さようなら、私のお夕飯。こんにちは、河野先生。
3000円弱だからまだ安かったか……ほんとはギブソンの本ちゃんと読みたいよ……。

まえに、作品展示してる場で説明するのに、
わたしがどうにも他に上手い言い方がなくて「哲学」って言葉を使ったら、
「哲学哲学って何が哲学やねん、ぼーっとしてるのとどう違うんだ」
みたいなツッコミを頂いて、ムッとしたけどまあ確かにそうかもなって思ったんだ。
大学4年間まともに勉強してなかった気がするけど、
いまさら哲学沼、宗教学沼に半身浴してみて思うのは、
哲学がなんぼのもんじゃい、ってことだ。
これは決して高尚なものでも、壮大なことでもなくて、
ごく当たり前にすぐそばにある身近なこと、周りに満ちていることを、
もう一度、ごく当たり前のこととして見つめなおすということだと思う。

なんてことを考えるのも、もう3日も4日も熱が下がらないせいかもしれん。
日曜日に受けた試験の会場が極寒で……風邪引いたっぽくてそのまま……。
外が暑いからって羽織るもの忘れたらいけませんな。

「『誤読』の哲学」刊行記念トークセッション

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またジュンク堂のトークセッションでした。
今年はもう高い本買わないぞって思ってたのになぁ。
ストレスで散財してる向きもあるから気を付けないとなぁ。
など。

最近は環境問題とか生態学とかばっかり勉強してて、確かにとても刺激的なんだけど、
要するに畑違いだから刺激的に感じるわけで、哲学や形而上学の話を聞くとホッとします。
哲学関係の本なんか久々に手に取った気がする……。
まあ、私の場合は棲息域が哲学畑ってだけで、大して詳しいわけじゃないんですがね。

今年中に何とか研究の土台を造るためのアタリくらいは取りたかったですが、
実際のところ、土台のアタリのアタリほども取れなかった感じです。
そもそも、何をするにもケツが重すぎるタチなので、少しでも素材集めに動けてるだけいいのかなぁ。

まあしかし、それも「シルクハットと四角い彼」に出会ったあたりから急展開したので、
そういう意味じゃ、今年はかなり前進したのかもしれません。
二次創作に熱中しすぎないように気を付けないといけませんが(;´ー`)

人形写真だけではもうかなり行き詰まっていたので、
外からの刺激は非常にありがたかったです。
おかげで皮膚感覚が心理にどう作用するかとか、
義肢の技術まで勉強しなきゃならない羽目にはなりましたが(笑)

……うん、まあ笑い事じゃない。
笑い事じゃないけど、面白いから仕方ないね。

もう完全に年の瀬気分ですが、まだまだやることあるので頑張りますヽ(*´ー`)ノ

雑誌

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新しく取った月刊誌が3ヶ月ぶん一気に届いて∩(^ω^)∩ワーイ してる。

雑誌とか新聞とかいう類いのものは、どちらかというと軽視していて、
手にも取らなかった代わりに高尚な本を読んだ訳でもなく、
そもそも自分で言うほど紙媒体に親しんできてはいなかったことに気付いた最近。
なんだか雑誌をたくさん読んでいる。
おかげでよみうりランドの麓で読売新聞の売り込みを断るのも楽になった。

新聞はJapan Timesの日曜版。
Weeklyを取ってたけど最近日曜版に統合された。安くなったからいいけど。
週刊誌は他にTIMEのアジア版。
あとDays Japanというフォトジャーナリズムの月刊誌を取ってる。
今日届いた月刊誌は、New Internationalist。
Days Japan以外は全部英語。
何だか日本の雑誌とか新聞って読む気しなくて。
あ、Days Japanは文章コンテンツも面白いよ。

英語ができる訳じゃないけどね。むしろ出来ないけどね。
それでも英語の雑誌読んでるのは、日常に外国語が欲しいっていう理由が大きい。
あと、そろそろ不眠症に飽きてきたので、睡眠薬代わり。
断薬までもうちょいなんだけどなー、いまいちうまくいかないよ。
さすがにベゲタミンAをザラザラ飲んでた10年前よりはだいぶ楽になったけど。
薬に頼って上っ面だけ誤魔化しててもしょうがないんでね……。
どうせただシャットダウンするだけでちゃんと休めてはいないわけだし。

寝るまえに布団の中で何か紙触ってると眠れるらしいことには気がついたんだ。
そういえば昔からわたしは寝る前に布団の中で書いたり読んだりしてた。
不眠症になる前のことなんか思い出すのも大変だ。

でも、日本語の本読むとどんどん目が冴えて来ちゃう。
いまの自分の創作で何か書こうとするとやっぱり目が冴えて来ちゃう。
じゃあ外国語読めばいいんじゃね? っていう流れ。

純粋にただ紙が好きってのもある。
外国の印刷物に使われてるあのざらざらぺらぺらした紙は一体なんなんだろうね。
ときめく。ムラムラする。ムラムラ? うん、まあ。
日本の雑誌とか本とかは良い紙使いすぎだと思うよ。
こんなもんムックで使えや!ってレベルの紙が読み捨て雑誌に使われてるでしょ……。
できれば自分の本は洋書のペーパーバックみたいな紙に刷りたいけど、
しまや出版さんの扱ってる紙はまたこれ上質なんだな。
もっとひどい紙がいいのに……。

明日は泣いても笑っても最後の秘書検定。
明日の試験で落ちたらもう受けない。
受かってももう受けない。
雨の日にスーツ辛いけど最後だからがんばる。

言語について。

20131024
可愛い顔しやがって……。
漢字が読めない、日本語のはずがちんぷんかんぷん、なんて久々だわい。
まったくぞくぞくしますわ……。

宗教について勉強を進めていくと、どうして言語が発生したのだろうってところに行き着く。
そこから、ジュウシマツ先生の進化生物学の本を読むことになって、
音声コミュニケーションがどうちゃら、社会がどうちゃら、認知科学がどうちゃら、となり、
そして結局、「こころとは?」ってところに帰ってきてしまう。
まあ、そうですよね。って思う。そうなんだ。

それから、この社会の仕組みが「いわゆる健常者」を基準にデザインされていると知る。
おそらく「より多くの人に便利なように」作られてきた結果、
少数派の「使いやすさ」は悉く無視され、我慢を強いられてきている。
それは言語ですら例外ではない。より多くの人に使いやすいように。
使えない者は伝達の手段を封じられる。そうやって社会が作られている。

私は、バリアフリーやユニバーサルデザイン、ダイバーシティといった言葉には懐疑的だ。
派遣社員として大きな企業で働く機会が多いのだけど、
そうすると人権研修みたいのが年に1回ぐらいあって、
そのたびにちゃんちゃらおかしいと思う。
なぜなら、そうした「標語」を作るのもまた、多数派の人々だからだ。

どう言ったらいいのかわからない、定義づけの難しい問題がある。
それについて理解することの難しい現実がある。
理解しようとすることが難しいというのは、つまり「言語化が難しい」ということではないだろうか。
「言葉にできない感情」を誰もが抱いたことがあるだろうと考えると、
むしろ、そうした感情を表す言語を発明しなかったことは、酷い怠慢のようにも感じられる。
そのくせ、インターネットや情報技術の発達に伴い、世の中には言語情報が溢れ返っている。
この現象を奇妙だと思わない人々を、私はいくぶん薄気味悪く思う。
こんなにも不完全で不自由な伝達手段である言語が、なぜこんなに溢れかえるのか。

(まあ、答えは簡単で、ウソをつきやすいから、操作しやすいからってところだと思うんですがね。
だからこそ、どんどん真実や事実は隠蔽されていく。陰謀論も起きる。カルトも走る。商売繁盛)

何もかもを既存の言葉で定義づけして、記号化して、何となく理解したつもりになる。
根っこの問題を何一つ理解していないのに、「こんなもんだろう」で片付ける。
私はそういうことが酷く薄気味悪くて気持ち悪い。でも社会にあるもんは大体そんな感じ。
だからそこに迎合したり、我慢したり、何となくヘラヘラ合わせたりしていかないといけない。
その不自然さがどこかしらかに歪みを生むことに、気がつかない、思いつきもしない。

それが良いとか悪いとか言いたいわけではなくてね。
これもまた言語化するのが難しい問題だな。
社会全体のデザインが、そういう歪みを生むように出来ている以上、
歪みが発生してしまうのはどうしようもないし、いつか必ず破綻すると思うんだ。
その歪みを、見てみぬふりをしたり、力技で封じ込めたりした結果、何が起きてるかっていうのを、
よく知っている人たちがいるわけでしょう、その、当事者たちが。
そういうことに気がつきもしないまま、あーだこーだと化粧塗りに化粧塗りを重ねてもね。
ボロボロはがれてくるだけだと思うのよ。それに更にまた化粧塗りをするんだろうけど。

だから、わたしは「自分さえよければ良い」なんて、到底考えられないんだよね。
なんていう言い方にも、ちょっと語弊があるんだけどね。
言語が不完全で不自由だなんて話しを、言語でするのは不毛だね。

暗記はつらい年齢です。

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なに見てるんだい。

1ヶ月以内に検定試験が2個あって、しかも受かる見込みがないのでウワーってなってる。
受かる見込みがないなら受験申し込みすんなよ!って言われつつ。うん。ごめん。
学生時代にもまともに使ったことのなかった単語カードなんかを使う事態です。
こりゃオオゴトだぁ……。通勤電車の中で単語カードなんかめくってるんだぜ……。
本当に私は全然日本語を理解してないってことに最近気がついて、
それで再勉強してるんだけど、日本語って難しいのね、特に書くほうの言葉がさ。
話し言葉には、さしたる不自由もない(気がする)んだけども、書くってなるとなかなか難しい。
こんな状態で小説なんか書いて良いわけがないって思ったの。
ブログは……まあ、話し言葉で……許してくれ……。

自分の作品の文章をちゃんと書きたいっていうのはもちろんなんだけど、
二次創作のほうがむしろ、人様の著作権侵害してまで書いてるわけだから、
よっぽどしっかりしなきゃいかんわい、っていう。

同時に、自分の作品をずっと根っこの根っこまで掘り下げていってみてるんだが、
あんまりに底なしすぎて困ってしまった。
やっぱりかなり根っこの根っこまで宗教を掘り下げて勉強しないとダメだ。
勉強だけやって作品を残せず死ぬなんて事態になんなきゃいいけどな。ははっ。
ははは。

突然の中国語

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「え、イタリア語は?」
「並行( ゜∀゜)b」
「英語は?」
「並行(*゜∀゜)b」

そんな「日本から飛び出したい感」満載でこんにちは。
実際は逆ですよ。
色んな国の言葉に触れた後に小説のプロットなんか書くと、日本が母国だと思い知るよね。
多言語をマスターする力も時間もお金もないから、少し触れるだけでいいんだ。
英語はまあ、そうもいかんので頑張るけど(;´ー`)

せっかくグローバル社会に生きてるのに、言葉の壁はやっぱり厚いよ。
原宿で展示してた時は本当に言葉の壁で苦しんだ。
もっとたくさんのことが知りたい。
宗教や考え方や風習や、言葉や文字を。
学生時代の9割をうつ病に費やしたから、今さら学びたいことが山ほどある。
そして今まで知らなかったことに驚きたいのだ。

イタリア語は今のところ「ピザ食べたい」と「くたばれ!」だけは覚えました。
ろくでもない。

ライブラリー

私の机の上にあるコレクトのMDFカードケース。
これは5×3インチサイズのカードが約1000枚入るもので、仕切りが3枚あります。
PoICではこれを「ドック」と呼んで、
思考を捕獲したカードを格納していくものですが、
私は日々書くカードの枚数が少ないので、いろんなことに使ってます。
一番手前の部屋は、納期管理のために43tabsを運用してます。
その後ろに思考カードを格納してて、考え事の断片が蓄積されています。
一番奥の部屋には住所カードが格納されてますが、
その手前(思考カードと住所カードの間)に本・見た映画の部屋があります。

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ここがその部屋。
映画は、セクションカードにタイトルと見た日、場所、簡単な感想を書くだけ。
本はライフの図書情報カードに記入してます。
はじめは映画と同じようにセクションカードに書いていましたが、
映画と違って情報として書くべき項目が多い上、
項目名まできちんと書かないと後で見て何のことだか解らなくなってしまうため、
ある程度フォーマットがあったほうがラクだったのでこれにしました。

「読書」と書いてあるタブの奥に、西暦のタブがありますが、
この後ろにあるものが読了した本の情報カードで、
これは思考捕獲カードと同じように全て時系列で並んでいます。
映画カードも時系列で並べています。
これは、タイトル順や著者・監督・主演俳優・ジャンルなどの分類では、
重複するカードが発生する、並べ替えたくなってしまうなどの問題があり、
それを解決する方法として採用されているものです。
これはPoICでも提唱されています。
細かくジャンル分けをしてしまうよりは、自分の歴史と照らし合わせて、
このときに何があった、どうしてこれを読んだ、観た、など、
相対的に「なぜそれを選択したのか」という情報として在った方が、
カードは私の思考整理や学習の為に役に立ちます。

「読書」タブの前にあるカードは、いわゆる「積ん読」本です。
まだ読んでいなくてこれから読もうとしているけど、手元にはある本。
基本的に、新しい本が手元に来た時点でカードを書いています。
最近は取得したいテーマが固まってきているため、
ネット販売をしている古書店などで一度にガサっと購入するので、
時間を作ってまとめて書く感じになっています。
猫の付箋がついているカードは、現在読んでいる途中のものです。
以前は、これをタテにして格納していたんですが、
書き物をしているときなんかに視界でチラチラとうるさかったので、
ふせんを貼ることにしました。猫がプレッシャーをかけてきます。
派遣就業先の社員さんに貰った付箋です。可愛いのです。

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だいたい読了の部屋がここ。この棚は、この下にパーム全巻が詰まってます。

ここのところ、本の読み方がだいぶ変わってきました。
以前は「買ったままの状態を保つ」ことが良い事だと思っていたけど、
最近は線を引いたり書き込みをしながらじゃないと読めない。
ステッドラーのあのマーカーか、ダーマトグラフ。
それと、三菱鉛筆のパワータンクか、鉛筆を用意して本を開きます。
線引きをしたり書き込みをするほど明確ではないけど、
なんとなく気になるページには付箋を貼っておきます。

「読書」というよりは「走査」って言ったほうがいいかもしれないなって思ってます。
なんとなくかっこいいし……。ロボみたいで……。
小説はあんまり読まなくなってしまいましたが、読むとやっぱり線引きします。
だから古本屋には売れない。私が生きてるうちはここがゴール。
本に何かを書くなんてとんでもないと思っていたんだけど、
書けるようになってからは勉強への姿勢も変わった気がします。
あと、Amazonとかの中古本評価で、「書き込みアリ」「線引きアリ」って見ると、
あえてそれを選んで購入するようにもなりました。
でもそう書いてはあっても書き込みってないものですね……。
この前入手した「表紙見返し部分に書き込みアリ」の本は、著者のサイン本でした。
うーん、そうじゃなくって、知らない誰かのメモが見たいんだよ……。

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積んでないけど積ん読本。
書き込みの習慣がつく以前に読んだ本で、改めて走査したいものも入ってる。
このほかに、国語辞典、英和辞典、漢和辞典、仏教事典がリファレンスコーナーに。
リファレンスブックってのは考え事をする以上どうしても必要で、
これがないと本来簡単に超えられる壁も延々と越えられないんですね。
この類で手元に置いておきたいリファレンスブックはまだあります。
さしあたり、近日中に筆順事典を足すつもりでいます。
梵和辞典を入れようかと思ってたこともあったんですが、
大学時代のサンスクリット語の教科書でなんとかなりそう。
あれ高いよね、なんであんな高いんだ。
実家に古語辞典と時代風俗考証事典を置いてきてしまってるので、
そのうち自宅に持ってくるつもりでいます。往生要集読みたいんだ。

それもこれも全部、思考の助けであるべきだと思います。
本に書いてある言葉をどんなに繰り返したって何もならんのだな。
しかし、もう大抵の事は誰かが書いて出版してるので、
これ以上自分で言葉を書いて本にしても意味無い気がする。
いや、ないな。ない。うん。
文章かけるんだから本出して印税生活しなよとか言われたこともあるけど。
ははは。ちゃんちゃらおかしい。

何か書くようなことがあったら、その時は命がけだよね。
命がけで書くんだったら、生活のことなんか気にもならないよ。
私はこの思考をある一つの結論に昇華させるために生きているんだから。

ってことを、本棚を眺めながら考えました。
いわゆる現実逃避です。

仕事と勉強と恋

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA
昔の静さん。女優だねぇ。
明るくてキラキラしてて生命力に溢れた場面が彼女には似合う。
だけど、だったら別に彼女の名前は「静」である必要はなかった。
彼女を作ったときに、すでに「静」という名前は決まっていて、
だから余計にこの写真を撮ったときは妙にそぐわない心地がしたんだ。
理由はすぐに知れた。
「王の風葬」の作中で彼女が見せたあの表情こそが、
彼女の真実に近づくための鍵なのだ。
私はそれを正確に読み取らなければならない。
マシーだって女優だったからな。
人形を相手にするのは本当にしんどい。
でも私がやらなければ。
いま私の手にあるバトン、あるいはタスキを次に受け取る人が、
初めからコースアウトして途方に暮れるようなことがあってはならないから。

派遣就業先の仕事がエライことになっているせいで、
昨日は21時40分退社、今日は19時過ぎ退社で体調もすこぶる悪い。
自分の無能のせいでこうなってるならまだしも、
何ヶ月も前から情報が錯綜して、上役同士の意思疎通がまるで出来ていなくて、
共有していない情報ですらいつの間にか共有していることになってて、
挙句50歳近い男性同士が「どっちが悪者か」という口論を展開し、
その間、一切の自分の仕事を止められていてこの始末なので、
うっかりすると巨大化して口から火炎放射でもしかねなかったのだ。
でもしなかった。がんばった。結果的には何とかなった。たぶん。

でも先週から体力も精神面でもガタガタで、さっぱり座禅に行けていない。
座禅に行けてないからガタガタなのかもしれない。明日も無理かろうし……。

勉強は、黒豆を一粒ずつ箸で重箱に詰めるように、あるいは、
囲いの中に羊の群れを追い込むように、やっている。
進んでいるとか捗っているとかいう言葉は相応しくない。
これはどんな作業でも同じだ。果てしない。終わりはない。
「ここまででいい」という妥協点もない。
それが創作に生きるのか、といったら微妙なところだ。
別にそれそのものが私の創作に与える影響なんて皆無に等しい。
ただ、私が延々と考えてきてそれを「発見した」と思い、
展示会でえらそぶって語ってきたことを、
ショーペンハウエルの本の中に発見してずいぶん恥ずかしい思いをした。

私が勉強だとか読書だとかをし始めたのは、
パズルのピースとピースの関連性を探すためであったり、
ピース群同士を結びつけるシナプスを探すためにほかならない。
Amazonだか何だかのユーザレビューで、
「内容が薄く期待はずれだった」などとよく見かけるけれども、
そうやって他人の作品の中に何か宝物が眠っているように思っている人は、
ずいぶんともったいない読み方をしているものだと思ってしまう。
「内容」そのものは自分の中にある。
それを呼び起こす鐘であったり、扉を開く鍵が書物だ。
そうやって辿っていけば、良書と悪書の選別は大して難しくない。

なんだか愚痴っぽくなってしまった。
派遣就業先の仕事で体力や気力がマイナスまで削られていることと、
足の指にウオノメが出来たことを渋々受け入れたせいかもしれない。
ウオノメなんて生まれて初めて出来た。しかも最近少し外反母趾気味だ。
生まれて初めてインフルエンザにかかった厄年だし、
ウオノメぐらい出来てもおかしくはなかろう……。

そういえば、インフルエンザウィルスについてちょっと調べたのだけど、
ウィルスという連中は実に美しい見た目をしている。
インフルエンザにかかった時は本当にもう死ぬんじゃないかと思ったが、
あんな美しい物体が私の細胞を騙して増殖していたのだから、
とんだ悪女に引っかかって痛い目を見てしまったと思うより他あるまい。
来年も季節性インフルエンザにかかってもいいように、
ちょっと会社に行かないぐらいでは困らない程度の貯金をしようと思ったのだった。

人生には恋が必要なのだ。