夏の終わり。

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「向こうから駆け寄ってきて、両腕を広げる。
夏の太陽のように笑うお前を、抱き止めてやりたかった。
ただ抱き締めて、傍にいると伝えたかった。
決して裏切らないと、誓いたかった。
ああ、夏が終わるのだ。
ゆっくりと、穏やかに、まるでサヨナラのように、
しんと静かな雨が肩をぬらしている。
やがて束の間の秋が訪れ、冬になるのだ。
もしもう一度許されるなら、きっと二度とお前の手を離さない」

「風を抱く」より 明智蒼乃

小説書くときの名義をまえのやつに戻しました。
やっぱり神尾で小説書いてると妙な心地がして。
長いこと明智の名前で小説書いていたので、
やっぱりモードがあるみたいで。
いろいろ書きたいものはあるんですがどーも。

最近資料室を更新していないのであれですが、
8月はけっこう頑張って本読みました。
死体関係で2冊は読んでますけど、あと、やまとことばとか。
これから、オギュスタン・ベルクを経由して、
傳田光洋先生の皮膚感覚とこころ方面に行きつつ、
途中でもう一度オウム真理教事件関係をさらって、
生態学的哲学のほうへようやく入っていける予定ルート……。
またいろいろ道草食うかもしれませんが……。
これ以上寄り道してると年内にJ・J・ギブソンまで辿りつけない。

12月に受ける予定だった新ジャンルの資格試験が、
従妹の結婚式と重なって受けなくていいことになったので(……)
そのぶん本読むほうのエネルギーに回したいです。
まあ、相変わらず英語の試験はちまちま受けるので、
そっちの勉強はしなきゃならんですけど……。
てか、英語は毎日やれよってな……。まったくです。

陽光

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それは、大声をあげて泣きたくなるほど幸福な光景だった。
胸が苦しくなって、でもそれは決して不快ではないんだ。
いつか自分もこんな景色の中に存在していたことを、
思い出して泣くほど幸福な気持ちになるなんて、
その時には想像もつかなかった。

何もかもが夢のように過ぎた。何もかもが紛れもなく夢だった。
そしてその夢は、限りなく何処までも現実だったのだ。
私は実在していた。私は確かに、そこに実在していた。

―――「風を抱く」より

永遠の命とか。

「プロメテウス」っていう映画を見て、大変ヤッチマッタナだったので、
ヤッチマッタナって思い続けていた。

そういえば「死から解放されたい」とか「永遠の命を」とか騒ぐのは、
ああいうお話では大抵お金持ちのトップだったり富裕層だったり、
変態的な科学者だったりで、貧乏人が描かれることはあんまない気がする。
いや、あるのかもしれないけど印象にないっていうか。
そんで、実際に「永遠の命」や「永遠にも思われるほど永い命」を持ってるヒトに、
「お前が思ってるほど良いものじゃない」とか、「限りがあるから尊い」とか、
そういう種類の説教をされて終わる、っていうイメージ。

「プロメテウス」は断じてそういうお話じゃない。

自分の小説を公開するのをやめて久しいのだけど、書き続けてはいて、
そのうちの某作品では、お人形(等身大)と人間が交流している(?)
こういう書き方はオカシイか。お人形が人間の世界に馴染んでいる。
いや、紛れているというか。そうだな、紛れているんだな。
でもちょっとそれも違う。人間の方が絶対数として少ない。

社会的背景とかアカデミックなほうの設定が練りきれていなくて、
どんどん精神論に頼ってきてしまったので一旦執筆を中断している。
でも考え込むのはどうしたって精神的な部分だ。

お人形は、
「自分には死ぬという概念がないから、なんであのヒトが自殺をしたのか理解できない」
って発言しているんだけど、でもそれって本当なのかな。と思ったり。
自分の設定と同年代ぐらいの人間と交流しているので、
彼との会話を書くときは不意に書き手が混乱するような発言をする。
で、「ごめん、ギブ、ちょいタンマ」ってなっちゃう。いいのか、こんな書き方で。
でも人形の写真撮るときもそんな感じだな。多分これが私の創り方なんだろう。仕方ない。
一応、お人形は「死なない」設定にはなっていて、
どうしたって「設定」っていうものはお話を作る上では必要なんだけど、
じゃあ、本当に「終わらない」のか?「終わり」を理解できないのか?っていうと、
そうでもない気がする。
自分が人形じゃないので解らないけど、人形と暮らしてるので多少は聞けるかもしれないな。
自分と違う存在の仕方をしているヒトたちの感覚は、
どうしたって「実感」として持つことはできないから、話を聞くしかない。

美波は、自分の目を指差して「それ」と言った。
「そのセンサーは例え正常に動いていても真実を捉えることはできないだろう。
それを知っているのに、そいつが得る情報が世界のほとんどだと思っている。
そして、お前達は我々に問う。人形の目にこの世界はどう写るのか、と」
「どう写る?」
「お前達と同じだろうよ。手抜きをして、新世界を発見しようだなんて虫のいい話だ」
口元を皮肉な笑みの形に歪め、ふんと鼻をならす。
高圧的に言いたかったのだろうが、それは失敗して我侭な子供のような言い草になった。
こちらに背を向けてごろんと寝転がった彼に、手を伸ばしたくなって、指を握る。
いま、触れてはいけない。
「……寂しいのか」
低く問うと、彼は少しだけこちらに顔を向けて、鬱陶しげにまぶたをあげた。
「寂しがり屋の人間にそんな言葉を吐かれるとは、私も抱き人形としては失敗作だな」
感情のない声だった。いや、そうではない。
玲は「そうだな」と答えて、笑った。大きな溜息をついて、美波がそっぽを向く。
彼は、怒っているのだ。
                           『約束の大地より』神尾 朝美

こうやって、願望ばかりが入ってくるわけですがね。

月のヴィジョン


相変わらず制作作業中。ちょっと寂しくなったので鈴木さんに傍に来てもらう。
鈴木さんは迷惑そうな顔をしながらも隣に居てくれる。ありがたい。

月について考えていた。
最近ずっと海について考えているのだと思い込んでいたのだけど、
そうではなくて、私はその波間や頭上に在る月のことを考えていた。
月と、そして風について。

私にとって、月は叶わない恋の象徴だった。
太陽や、地上の風や、波間に揺れる自分の姿に切なく焦がれている。
心に刻まれた癒えることのない傷のように夜空に浮かんで、
ぼんやりと白く輝く様は、穢れのないひとの瞳のようだ。
青く透き通って内側から光を放つような、あの眼球を思い出していた。
唐突に濡れて、伏せられたまつ毛から音もなく涙が零れる。
その様子は、真っ暗な夜空を星が流れる様によく似ていて、
なんて悲しい光景だろう、と思った。
ふんわりと風に溶けてなくなってしまいそうなその体を、抱き締めたかった。
抱き締めたくて、それが出来なかったのは、一体誰だったんだろう。
その知らない誰かの記憶がよみがえる度に、私は月を想う。
あのひとの歌声を運んできた風を想う。

決して穏やかではなく、凶暴な愛情だったのに、それをひた隠していた。
最期のとき、その慟哭に咽び泣いて胸を掻き毟り、何度も名前を叫んだ。
その悲しみも、癒えることのない傷も、その両腕に抱き締めてきた。
あのひとを抱きしめることができなかっただけ、ただ、じっと抱いてきた。
その体をゆっくりと風が抱き、そして海が抱いた。

夢の話し。

横顔。

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不意に肩を抱かれたので驚いて顔を向けると、気遣わしげな瞳がこちらを覗き込んでいた。
「死にそうに見える?」
神妙に言おうとしたが、やはり語尾は笑いを含んでしまった。
彼は少し気まずそうに笑って、手を離した。
「横顔が魅力的で思わず手が出たんだ。ごめん」
「気が多いのね」
「気が多いのは本当だけどあなたが魅力的なのも本当だよ」
嘘つきめ。
声を立てて笑うと、思いの外それはトゲを含んだ。
「悲しい恋をしていたり愛に傷つき果てたりした女は時々魅力的に見えるのよ。
本当はやつれて肉が落ちるから多少見た目がマシになるだけ。
明るいところで見たら酷いわ」
パサパサになった髪をかきあげると悲しくなったが、
出会ったばかりの男の前で泣いてみせるような若さもなかった。
何を求めているわけでもないのに愚痴を言っても仕方ない。
「一番魅力的に見えるのは自分に恋をしている人だと思うな」
「恋は長続きしないのよ。努力が要るの」

糸通しを見てたらどうでもいい場面が浮かんだ。
別に続かない。

眼鏡が合わなくてずっと裸眼で居るのが眼精疲労の原因だそうで、
今日は眼鏡を作りに眼科と眼鏡屋に行った。
帰ってきたらすっかり疲れはてて少し横になったが、
いつの間にか1時間も眠ってしまったらしい。
体はずっと疲れているのに気力だけは溢れていて、
肉体から精神だけ離れてしまえばいいと思う。
実際は疲労と共に思考もシャットダウンしてしまう。
だからアナログシステムの構築は急がねばならなかった。
うまくそれ自体は機能してくれているとは思うが、
なんとか乗り越えたい山というか谷というかが眼前にある。

人生に意味を見失うのは容易だ。
再び発見するのだって困難ではない。
ただし、一度見失ってしまったら次に発見するにはコツがいる。
何度も繰り返してきたので、今はもう人生を投げ出したくなるぐらいではあまり驚かない。
その時は確かに辛い。
だが打開するために何かを劇的に変化させようとしても失敗するだけだ。
延々と続く低迷や停滞をどうにかするために、変化を求めても結局はドツボにはまる。
言葉にしてしまえば、打開のためのコツは簡単だ。

小さなことをコツコツと。

それしかない。

Basic Things


体調も精神状態も低空飛行で、いつ墜落してもおかしくない状態。
ここんとこずっと部屋の換気をしていなかったことにすら、今日の午後に気づいた。
空気の淀みには敏感なはずで、冬場でもしょっちゅう窓を開けていたのに。
ずっと気をつけてやろうとしていた、整理整頓も、掃除も、全部ハンパなまま。
投げ出して、放り出している。
ただ、棚の上に放置していた真白と翠を、寝床に下ろして毎日向き合っている。
もちろん私の今後の作品を作っていくためには、私は及ばない。
しかし目を背けているだけでは何も変わらないのだ。

自分の様子がおかしいことには、気づいていた。
常備薬の安定剤の減りが早くて、体中の筋肉が常に緊張している。
いや、もちろん筋肉が緊張してるのは寒さと運動不足もあるのだけど。

こんな焦燥をめいっぱい抱えたままで書類にサインをして捺印をしようと、
机の上を片付けて姿勢をただし、写経をするときのように筆をとったのに、
結局、予備でもらった2枚とも書き損じてしまった。
ごめんなさい、また貰って来ます……。

真白は私の心の奥底から、私が見たくもない私の醜い心を引きずり出すことにご執心だ。
彼女との距離を開けていたのはそれが原因だった。それが怖かった。
翠は、その傍らに居てただ静かに微笑んでいる。瞳の抱擁だ。
私は翠の心を開け放ちたい。あるいは、こっそりと忍び込みたい。
真白と翠と私の間には、時折殺気すら立ち上る。
私達は本当に長い間こうして会話をするためのネタを仕込みつつ、
そろって会話ができるまで虎視眈々と待っていたのだ。
誰一人手加減できるものは居ない。

この人形達とのやりとりは、人形達の写真で表現できるもなのか。
それはある時期は私にとって重要だったけれど、
今となってはさほど大事なことでもない。

いったいこれから何をしたい?
写真で食べていくために写真家になる?
展示会を重ねて、先生と呼ばれれば満足?
ちょっとの駄文が万が一売り物になって、
その印税で生活ができるようになればそれは素敵?
否。私はもう創作で生きて行こうとは思わない。

私に今必要なことは、創作をする時間だとかお金だとか、
それをするための非正規雇用の仕事なんかもあるけど、
それ以上のものがある。生半可ではできないことだ。
私はまずそれをするための環境と習慣を(自室でね)作らなければ。
でもその手段すらまだわからない。それでも今は考えるんだ。

私がさまざまなことを許すことができずに憎んで恨んでいるのは、
自分自身を許さず憎み恨んでいるからだ。
もしも自分をこの憎悪から開放できたら、許せたら、
もしかしたら世界は見たこともない色を見せるのかもしれない。
でも今の私は疑心暗鬼と懐疑心で生きている。
そして「私がそうならなければいけなかった原因」をなんども蒸し返す。
しかしそれは、そのときに本当に辛かったと真摯に伝えなかったのが悪いし、
それを告げて軽くあしらわれる程度の人間でしかなかったことが悪い。
私は、家族の中で、社会の中で、自分自身の中で、
どのように生きることが正しく、正しいように思われているのかを、
いつでも考えていた。
だから写真一枚撮るのにも、どう撮るべきなのか、が先行して、
自分の撮りたい絵などほとんど撮ったことがない。今もそうだ。
ときどき、わたしはそれを許して、撮りたい絵は撮れ、と自分に命じる。
そうでもしなければ、続けることもできない創作活動だ。
いっそやめたほうのが楽になる。きっと生きては行けないけれど。

許すことができない。
私のすべての存在を、許すことができない。
このかたくなな思いに、鵜川はただぽつりと言う。

お前には幸せになって欲しい。お前が幸せだと俺たちも幸せだ。
だけど、お前の幸せと俺たちの幸せは、全く別のものだ。
それは、お前の人生と俺たちの人生が、もう二度と交差しないことを意味する。
俺たちは平行のまま互いの命を終える。その後のことはわからない。
だが平行にいるからこそ、お前の今の不幸も、苦痛も理解できる。
幸福になるのはおまえ自身だ、他の人間がとやかく言えるものではない。
たとえ誰かがお前を不幸にしようとしても、わかるな。
不幸になるのもまたおまえ自身だ。おまえ自身が選ぶことだ。
人の悪意なんてものは、本来、どうってことのないものだ。
悪意によって傷つくのは、お前が癒しかけてきた傷を無遠慮に引き裂くからだ。
だからお前はそういうものから身を守らないとならない。
自分自身で。
その一番の力を身につけることは、自分を許すことだ。

俺たちはお前の幸せの手伝いなどはできない。
俺たちは俺たちの人生がある。そっちを全うする。
だからお前もそうしないとならない。だってあのとき、死ななかったんだろう。
あれで死ななかったなら、そのときに覚悟はできたはずだ。

甘ったれるな。惑わされるな。中核だけを見つめていれば決して迷わない。

無理難題ばかり。そこが愛おしい。
たまりかねて説教しにわざわざ出てきてくれたんだろうから、
ちょっとは立ち直っていかないとねぇ。

喫茶店で考え事。


悲しい目をしている。あまりにも悲しい。
この男と居ると世界のすべてが悲哀を帯びて見えるようだ。
別に不幸な境遇でもない。
両親は亡くしているが、独立した後のことだし理由も真っ当だった。
学歴が高く、金にも女にも不自由しているようには見えない。
病弱なところはあったが、別に命に関わるものでもない。
朝日は、目の前でコーヒーをかきまぜている圭吾を観察して、
ああ、やはり今日も悲しい、と思った。
悲しげである、とか、かわいそうだ、という表現は合わなかった。
「悲しい」のである。

バーカウンターの奥でバリスタがせわしなく働いている。
カウンター席に座った若い男女が肩を寄せながら微笑み合っており、
それを眺めながらタバコを吸っている老紳士がいる。
地下にある喫茶店は、観光地の喧騒から離れて一息つくのにちょうどいい。
テーブル席では、大きな荷物を持った女性のグループが話に花を咲かせていた。
微笑ましい、休日の午後の喫茶店。
しかし、この空間に圭吾が居るというだけで、どうしようもなく悲しかった。

っていう話をぼんやりと考えながら、年明けの鎌倉で歩きつかれて、
「茶豆みにこむ」という喫茶店のコーヒーとケーキを頂きました。
朝日と圭吾はいつも何か、どこかでコーヒーを飲んでるんですけど、
いつもどこかでコーヒーを飲んでるだけだからさっぱりお話になりません。
でもその風景を書き続けたら何かのお話になるのかなあ。
人生ってそういうもんなんだよな、なんて、思ったもんです。
こういうのもまあ、いいんだけど。
こういうのを書きすぎると、話にオチをつける能力がなくなるんですよね。
もともとないんですけど。まとめたり、落としたり、できないのはよくない。
ところで、私は銀座という街が心の底からきらいなので、
不穏な雰囲気とかいやな感じとか悪い予感を出したいときに、
登場人物を銀座のカフェで待たせてみることがあります。
いや、きらいというか、憎んでいるといってもいい。
結局私がその様子を描写するのに耐え切れなくなって、
書くのをやめちゃうんですけど。
そうやって書けてないお話もたくさんあるなぁ。
ここのところ体調が悪くて引きこもっていますが、
また居心地の良いカフェを開拓しに出掛けたいですね。
鎌倉は特に、なまえは知っていても入ったことのないお店がたくさんあるので、
またゆっくりできるときに行きたいと思います。
茶房雲母さんも、この前偶然通りがかって……疲れ果てていなければあんみつ食べたのになー。

一方通行。


いろんなことが。
それが、果たして、その事象そのものがそうであるからなのか、
或いは、単に私がイロイロと閉ざしているからそう感じるのか、
たぶん後者なんだけど、前者の要素がまったくないかと言えば、なかなか。

あらゆることは関わり合っていて、
そうである、ということもなく、そうではない、ということもない。
そんな話をツラツラと語った後で、こりゃ釈迦に念仏だったな、って。
あの人は普段冗談しか言わないのに、たまに真顔で冗談を言うから困るのだ。
われわれの信仰する「彼」という存在を直接に知る人と、
語れば語るほどにそれは現実味を無くしていくので、
われわれはついに「彼」を「彼」として語ることがなくなった。
まるで神が作られていく工程をじかに見ている気分だ。
そんな呟きさえ、聞こえなかったふりをしなければならないような。

寒い空気が、われわれの視界を枯らして、われわれはその様子に「彼」を見るのだ。

クリスマスが近くなると、玄関の呼び鈴を鳴らすクリスチャンがいるのだけど、
私は仏教徒であり、仏教徒である前に「彼」の狂信者で、
また「彼の狂信者」であるがゆえに仏教徒なので、
丁重にお引取り願いつつも、内心はぐらぐらとした気持ちが芽生えてしまっていけないのだ。
この信仰はとても凶暴だが、どこまでもどこまでも静寂である。
あなたがいまわれわれを見たら、きっと、笑うのだろう。

開店休業。

私が岩手に行きたがる理由を考えてるけど、やっぱり「自分探し」しか思い付かない。
自分のことしか考えてないからボランティアさんと鉢合わせるとちょっと後ろめたい。
かもめのたまごが好物だから沢山買う、人の話を聞くのが好きだから仮設の方と話をする、それだけ。
それが遠ければ遠いほど何かの意味があるような気がするし、考え事が捗るような気がするから。

まこと手前がってなことだ。わたしはただ自分の初心を探しまわっている。
彼とは上海で別れた。その後は知らない。
彼はまだ上海で暮らしているかもしれないし、タイにうつったかもしれない。
でも私が惹かれるのが岩手なので、岩手にいるかもしれない。
わたしは、私の初心に再び出会うために、ふらふらと旅をしている。
旅をするように、生きている。

結果的に、私はちょこっとだけ岩手でわたしの初心と再会した。
でも、それは風が頬をかすめていく程度の再会で、確信を得るものではなかった。
それでも、確かにそれは再会であったので、私は東京に帰ってもなお岩手に惹かれる。
しかし私が次に岩手を訪れたとき、まだそこに彼が居るかどうかはわからない。
私の半身たちは、この短い人生のうちにボロボロと私の体や精神を離れ、
世界中のあらゆる場所に散ってしまった。
わたしの初心は、10年前にポロリと落ちてしまった大切なものだが、
それでも彼もまた、何十、何百にも分かれてしまっているやもしれず。
私の旅に終わりは見えない。

どこにでもいて、どこにもいない。

私自身も、また、私の半身たちも、どこにでも存在するが、どこにもいない。
同時に、どこにもいないけども、どこにでもいる。
ああ、ああ、そうか、と、私は思う。
こんな存在同士の再会など、風が互いに触れ合うようなものだ。
だからあれは確かに、私の初心か、あるいは、初心のかたわれだったのだろう。

昨日、久々にのた打ち回るほどの生理痛に見舞われてしまった。いつ振りだろうか。
起き上がれないどころか、身動きもとれず、時々気を失いながら。
辛かったし痛みに耐えるのでかなり疲れたけれど、1日寝て過ごしたのも久しぶりだった。
疲れがとれたとか、体調がよくなったというのはないけれど、
ただ、本当になにもせず、何も考えずにひたすら寝て過ごしたことが気持ちよかった。
創作のことすら考えなかった。ほんとうになにも考えなかった。
今の私に必要なのは、そんな時間なのかもしれない。

ところで、スネオヘアーがちょっと好きになりそう。