運命だの宿命だの言いたくはないけど。


稲城市にもファミマあります。

さておき。
アトリエでプリンタ使えるようになりました。べんり。
これでUSBメモリにデータ入れてローソンまで走る日々ともおさらば。
今までありがとうローソンのマルチコピー機。きみのことは忘れない。
フォーエバー、フォーエバー。
あ、でも複合機じゃないので、コピーとFAXはローソンです。

ローソンです。

ときに。
YFEが5月末に京都でやったライブの動画がアップされていたので、
ダウンロードして観てました。あ、フリーダウンロードです。
ミス・イザベルとジェフが並んでるとめちゃくちゃ可愛い。
アレックスとジェフには渋谷で会ってるんだけど、
こうしてライブの動画見るとなんだか信じられないな。
いやでも信じられないとか言ってる場合じゃないんだろうな。

最近の考え事の流れで、自分自身が分子レベルとか原子レベルまで、
粉々というか、細切れになるようなイメージで居るもので、
つい自分自身が実在していることに対して懐疑的になりがち。
実在していることに対して、というか、「実在」ということに対してというか。
とてもとても小さな単位で、ものすごく長いスパンの考え事をしているせいか。
たまには「現在」に戻ってこないといかんなーと思いつつ。
たまに、で、良いわけもなくw

YFEの音楽や、アレックスからのメールは、
私がかつて、自分自身の使命を自覚した頃のことを思い出させてくれる。
その理由はわからないけど。たぶんチャンネルがそこに合ってるんだろうな。
だから、YFEの音楽は大好きだけど、ファンというのとも違う。
ときどき、本当に聞くのがつらくて仕方のないこともあるし、
アレックスの言葉に無性に反論したくなることもある。
でもそういうときは大抵、私の考え方がどこかひねくれているので、
それに気づいて正そうとする機会にもなっているかな。

不思議なもんだ。
どうしてアレックスと出会ったのかも、もう思い出せない。
でもそれでいいと思っている。

死後の世界について考えた

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賽の河原っていうのは仏教とは直接関係はなくて、
土着の民俗宗教と仏教が結び付いたもんらしいです。
親より先に死んだ子供が、その親不孝の報いに、
三途の川の河原で石を積んでいくやつです。
石塔の完成間近に鬼が壊しに来るってアレです。

ところで私は目が悪いです。
乱視と近視で眼鏡をかけないと世界に立体感がありません。
運転用の眼鏡はその視力をガッツリ矯正してるため、仕事では使えません。
それで、乱視だけ補正して近視はほぼ素通しの眼鏡を使ってましたが、
安いフレームのため視界の端で反射してイライラするので、最近会社ではほぼ裸眼です。
ちかごろ、机やメカによくぶつかるので、生傷や青あざがたえません。
そろそろ室内用の眼鏡作らなきゃ。

話を三途の川に戻します。

死後の世界がうんたらかんたらと話すとき、
【わたくし】という個体や主体性を損なわないことが前提のような気がします。
死にたいして感じる恐怖のひとつに、
【わたくし】という個体の消滅への恐怖が挙げられると思います。
それを考えれば、
「死後もわたくしの主体性は失われない」という願望を持つことは自然でしょう。
同時に、その願望や死への恐怖は、
死後の世界への恐怖や期待に変換されます。

仮に、死んでもわたしの主体性が損なわれず、
死後の世界があるとしましょう。
死んだのですから肉体はもうありません。
しかし、「主体性」が失われていないのなら、
生前目の悪かった死後の私も、また目が悪いのではないでしょうか。
生きている間のものごとの判断が、
それまでに蓄積された記憶によるところが大きいのであれば、
死後の世界においても、
生前から蓄積された記憶は判断基準になるはずです。

つまり、わたしの見る死後の世界には立体感がない。
なんてことだ。

もうすでに父を亡くして、母より先に死ぬ予定もないので、
賽の河原には行きそうにないですが、
仮に私が賽の河原で石塔づくりの任務を与えられたとします。

立体感がない→石を積んでもすぐ崩す→石塔の完成間近というタイミングがない→鬼の仕事がない

これだけならまだしも、隣近所の石塔までガンガンくずしまくりそうです。
大変、鬼の仕事が本当になくなってしまう。

そんなことを考えながら、床にぶちまけたせんねん灸を拾い集めた夏の夕べ。
肩こりにはせんねん灸がいいです。

※2011.07.01 PHSから思いつくまま書いた記事だったため、読み返して加筆修正。
あんまり変わらんか。ひどい話だ。

想いは形になる。


↑写ってないけど夜に走ってる車を撮りました。写ってないけど。

最近、御朱印帳と写経用紙を購入しました。
私の家は父方が浄土真宗で母方が神道ですから、
家の宗教としては、写経して納経して御朱印を頂く、という考えがありません。
それなのにどうして購入したかというと、別段に理由もありません。
あ、えーと、その、宗教的な、というべきかな?
家は浄土真宗だけど私はどこどこ宗を信仰してる、っていうのじゃないです。
というか、実は日本の仏教にはそんなに明るくない。
(学卒としては、どこの仏教にも明るくない仏教学士ではあるんですけど)

そもそも、昨今の御朱印ってどうなんだろう? と思ってグーグル先生に伺ったら、
うーん、なんともはや。記念スタンプじゃないのだよ。
とはいえ、じゃあ、記念スタンプとどう違うんだといわれれば、
確かに明確に説明することは私にも出来ないなと思ってしまったのです。
御朱印ってどうなのよ、ってグーグル先生に聞いて、
まず教えてくださるのは四国八十八ヶ所や西国観音霊場の巡礼のこと。
お遍路をされてる方のブログなんかが出てくることが多いです。

御朱印の起源はよくわかってないみたいですが、
納経の証明だとか、受領印として押されるようになった説が有力のよう。
いつごろから始まったのかということは、調査中。
また、日本には神仏習合というものがありますから、
御朱印が寺院と神社の別なく頂けることを疑問に思う必要はないでしょう。
明治時代の神仏分離のあたりで何かあったかもしれません。
このあたりも調査中。

納経というのは、お経を読誦したり、書写したお経を神仏に奉納することを言います。
奉納するお経は宗派によって異なりますが、
般若心経は仏教寺院のみならず、神社でも奉納できるようです。
もちろんすべての神社でってわけにはいかないでしょうが。いかないのか?
うーん、このへんも調べ始めると底なしになっちゃうなぁ。

お経と一口に言っても、ものすごくたくさんあります。
お経は大きく分けて、経・律・論の3部があります。
それぞれ、釈尊が説かれた言葉、修行に当たっての決まりごと、
それらをのちに弟子たちが論じたもの、の3部構成です。
このお経全体を「一切経」といいます。
まー、とても読めない量です。ものすごいたくさんです。
漢訳本の量としての一切経は、背表紙の並びだけ見たことがありますが、
なんというか、とにかくいっぱいです。

それを全部読むのは大変なので、大事なことを説いているお経だけ、
あるいは、その宗派で重視しているお経だけ取り出して奉納しましょう、
っていうのが、だいたい、この「納経」っていう行為だと思います。
あ、ものすごく乱暴な言い方をしています。めちゃくちゃザックリです。
この辺は細かく書くとイロイロ私の命にも関わるので書きませんが、
おそらく近代に近づくにつれてこの行為の持つ意味としては、
いわゆる、「納経すると願い事が叶う」的な信仰の絡みが色濃くあるんじゃないかと。
「ご利益」っていうやつですね。

これはまったく個人的な意見ですが、お経を読誦しようが書写しようが、
そのお経自体が願い事を叶えてくれるわけじゃないと思います。
というか、仏様や神様が願い事を叶えてくれたり、
助けてくれたりするわけではないと思うのです。
そうした考えがあるから、私には御朱印と記念スタンプの違いが、
明確にきちんと理解できていないし、説明することが出来ないのです。
巡礼の意義もよくわかっていないのです。

だから、御朱印を記念スタンプのように集めてコレクションしてる方や、
別に信心も無く観光で参拝して集印してる方が悪いとは言えません。
ただ、ちょっと、イライラしちゃったのです。
それで、そのイライラの理由もよくわかっていないのです。
よくわかりもせずにイライラしたにも関わらず、私はやったことがないのです。

じゃあ、やってみれば解るんじゃないかと(そんなんばっかや。

この国の霊場を巡礼することには、未ださほどの意義も見出せていません。
無宗教というカジュアルさ、信仰のないことへの信仰。
それらが、たぶん、私の心を固く閉ざしているのです。
もちろんそれがすべてではないことはよく理解しているつもりです。
いわゆるトラウマってやつに似てます。私にはトラウマが多い。面倒です。

ただ、「それそのもの」にはさしたる意味も意義もないものが、
「想い」を伴うと大きな力を持つことを、私はよく知っています。
ゆえに、その小さな理解を糸口に、この思考の糸を解いていったら、
もしかしたら何かの成果があるんじゃないかと思っています。
いや、ないかもしれないですけど。

「想い」というのはカタチになるから、尊ばれたり、恐れられたりする。
そして簡単でなく、難解でもない。ただ、複雑なだけ。

そう、今の私は、考えています。

選曲が病んでいる。

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コマゴマした用事を片付けたり、部屋を片付けたりしてるうちに日付が変わっていることしばしば。
床に座らせてた陛下たちを高いところに移動したので私の気分が少し落ち着きました。

まだまだやることはテンコモリ。
実家から無計画にモノ送りすぎたのが悪いんですけどね。

プリンターは買ってきたままの姿でまだ玄関に居ますし。
作品もこれからでっかいの増えるからなんとかしないと。

あー。
そんなことよりバイク乗りたいー。
ごーろごーろ。

ぼーっとする。


ブログ記事書いて、メールして、ちょっとストレッチと筋トレして、
それから麦茶飲みながらただ、ぼーっとしていた。

そしたら、YFEのAlexからメールがきた。

さいきん日本語のやりとりだったけど、Alexに甘えてるなーと思って、
頑張って英語で返信してみた。つっても、ほぼYahoo翻訳だのみ。

また、いろいろ考えた。

で、また、麦茶を飲んだ。

冷えピタがね、ものの10分か15分でカピカピになるんですよ。
またこの季節がきたなーって。
麦茶は1.5リットル入るプラスチックのカポッていうやつで(あれなんていうの?)
2日に1回ぐらいの割りで作ってる。飲んでも飲んでもまだ飲める。

考え事が深みにはまるまえに、とっとと寝るのが、正解。

曇り空に洋館。


母校(中学、高校)の近所に、旧古河庭園というところがあります。
学校の正面にある六義園や、小石川植物園には行ったことあったんですが、
ここだけは今日の今日まで行ったことがありませんでした。
洋館を中心にして和洋の庭園のある落ち着いた場所でしたが、
今は見ごろのお花が多いので、結構人がたくさん居ました。
写生や三脚使用の写真撮影は禁止の期間だとか。なるほど。

1月の揺ちゃんぶりに人物を撮ってきました。
一応、お仕事で、と言っていいのだろうか……。
なんというか、もっとこう、意識を高く持つべきだなと思いました。
いろいろすみませんでした。たくさん勉強もさせて頂きました。
まだ撮影データをお渡しできていないので、
ブログやサイトでのUPはお渡し出来てからにしますね。

しかし……今日はなんか、とても重要なことを学びました……。
こういう機会をいただけるのも本当ありがたいことです。
自分が「こうありたい」と思っている「目標」のようなものに、
いつまで経っても辿り着けない理由がわかったような気がする。

大きなことや解った風なことは、言うだけならいくらでも言えるし、
実際、「言うだけ」でも相当乗り越えなきゃならないものがあるけど、
それを「心する」とか「覚悟する」とか「意識する」っていうのは、
本当に生半可なことじゃないんだっていう。

そして、それを「出来ている」と思い込んで、悟った風な態度をとる事の、
なんと簡単でお手軽なことか。私がやってるのはまさにそれだ。
そして、そこから抜け出して、生半可じゃないことをやらないといけない。

もしも出来なくても、今はやるしかないんですけど。
やらないと、出来るも出来ないもないし。あぁ。

ところで、尺八奏者の入江要介さんの撮影でした。
もっと精進して、次回があるように頑張ります。
今日はお疲れ様でした、ありがとうございました。

コリラックマプレートもらったー。


ローソンのキャンペーンのやつです。かわいーい。
朝ごパンとかおやつとか買ってたらシール溜まったのー。
駅前にローソンがあるんだけど、会社からも家からもちょっと歩くので、
朝とか昼休みとか夕方とか散歩するのにちょうどいいのだ。

特別、リラックマが好きなわけじゃないんだけどw
買い物したついでにくれるっていうもんは貰ったほうがいいかなって(笑)

ちなみに、Made in China でした。ははは。

バンちゃんで西北線23号鉄塔

バンコク4日間の旅費が新しいカメラになってやってきました。
良いカメラ。だけど。私のバンコクが……あぁ……。
てことで、きみはバンちゃん。決定。

そんなわけで、バンちゃんと親交を深めるためにぺそぺそ。

で、鉄塔。
西北線23号さんです。

#あ、こないだ24号さんを間違えて23号って書いてました。
#直しておきます、すみません。

西北線は何度か撮ってますが、
西東京変電所から北多摩変電所までの送電線です。
送電電圧は275kvなので、高電圧な方だと思います。

そのわりにこのひと、公園の中に立ってるので、相当近くまで寄れます。
さすがに囲いがしてありますけど。

西北線と合わせて私が結構撮っている北千住線は66kv。
駐車場の中に立っているひとがいますが、
このひとは囲いしてなかった気がする。
なんかプランターとか鉢植えとか回りに置かれてた記憶が。
また見に行ってみよう。

さいきん近所の鉄塔ばっかりですけど、
やっぱりそろそろ山の中に見に行きたいなって思います。

唸る空。


ゴォ、ゴォ、と低く低く唸りながら頭上に在る空。
これから夜に向かっていく時間。風は涼やかだ。

これは昨日の空。
ご主人様にお夕食に誘われて、てくてくと歩いた。
ただでさえ遅刻してたけどw

なんとなく歩いていきたかったし、
このシャッターを切って、空の唸りまでも写しこめたら、
私は私の何かを許せるような気がしていた。
結局、それが出来たかどうかも、出来たとして、
何を許したかったのかも、解らずじまいなのだけど。

嫌いなヒトなど誰もいない。
ただ一緒に居られない人がいるだけ。
許せない他人など何処にも居ない。
私の罪深さに比べれば。

私の創作表現はどうなっていくんだろう。
これからどうしていくのが正しいのだろう。
瞬時、そう悩みかけていた私に。
どうなっていくのかを憂えても仕方が無く、
濃霧の登山口でああだこうだと議論しても詮がない。

登山を始める前ならまだ引き返せただろうが、
運悪く、私はすでに登山口を過ぎて久しく、
其の上、木の根に足をとられてしまっている。

思考はやまない。

剣士様とメインクエ攻略

今日は剣士様と楽しい楽しい秘密ダンジョンデート。
ダメル遺跡で待ち合わせて、メインクエスト攻略です。

何度かダウンしながら、何とか秘密ダンジョンに到着。
悪魔さんと戦います、が。

なんかちっちゃい。

歩く速度がやけに遅いと思ったら、キャラグラフィックが超ちっちゃい。
えー、なんなのこれ、悪魔さんの大きさアピール?
悪魔さんのグラフィックに被ると、自分がどこにいるのかわかりません。


↑剣士さまに「何とかいけそうだね」って言われて「うん」って言ったとこ。
ちっちゃいし、姫は完全に敵キャラに踏まれてるし。
あと、「混乱状態」ってのにかかりっぱなしで、
ほとんど難易度1のスキル(=打撃)しか使えませんでした。
ほんの一瞬解けるので、スキルコマンドのキー叩きっぱなし。
なにこの役立たず感。酷かった。


で、倒した。
ほんとは剣士様と二人でドヤ言ったのにスクショとれてなかった。


最後に記念撮影しようとしたらこの有様。
なんなのこのダンジョン。


遺跡から荒廃都市ダメルに上がって、一息です。
なんかレベル2つもあがった。
これで、メインクエのチャプター1はひとまず攻略?

きっと王都の国会議員とかに話しかけるとチャプター2が始まるのかなー。
まぁしばらくレベル上げしとくかー。と。

テレポータに王都まで送ってもらって、建物から外に出た瞬間。

チ ャ プ タ ー 2 ス タ ー ト 。

_ノ乙(、ン、)_ ゲームなんて……。