2012年一発目が毛玉写真展。


何しろ情報提供呼びかけのための企画だったので、
とにかく今すぐ空いてるギャラリーで使わせてもらえるギャラリーったら、
原宿DFGさんぐらいしかなかったんもんですから、ほんと急遽。
ケント帰ってきましたご報告展示会を、2月4日と5日に開催します。
まあちょっとずつ、「こう作らないといけない」枠から出て、
自由な額装がしたいなと思っているんですが、その試験的な制作をば。

ケントさんを気にかけてくださったみなさまへのお礼とかご報告とか、
そういうのが一番なんだけども、「ペットは盗まれる」ということを、
知っておいて頂きたいと思うが故の、企画です。

ただ、まだまだ私自身があまりにも勉強不足なので、
深くどうしろこうしろとは言えないんですけどね。
毎度宿題が多すぎて終わらない。多重債務状態です。
またこの問題に関しても、この問題「だけ」に着目したところで、
どの道手詰まりになることは目に見えています。

今は実は、そっちの手を考えるよりも、
まずもっと私自身の過去や現在や未来に視線を向けなければならない時期。

うーん、なんだかなー!
自分のポートフォリオも作ってかないと。

紙と文房具に囲まれて生きていたい。


印刷屋さんドットコム http://www.insatsuyasan.com/ さんで、
ためし刷りとかそういうので今まで捨ててらしたヤレ紙を、
メモにして分けてくださるってブログ記事書かれてたので、
メールをしてみました。
そしたらとても丁寧にご対応いただいて、メモスタンドまで頂いた。
ありがたいもんです。
会社のパンフとか紙見本とかカラーチャートとかありがたいものづくし。

んで、展示の準備のためにエプソンさんのインク買い足したんですが、
また、てるずネットさんがほんのおまけです、を入れてくれた。

謎のハイチュウ。
あとボールペンは何本あっても嬉しいけど、もうこれで4本目じゃよ。
まあ、面白いからいいや。
これのせいでついインクはてるずネットさんに頼んでしまうよ。

でっかい建物出来たらしい。


神宮前のあの交差点に。
ここ通るときいつもミューしか持ってなくてもっと画角ひろいから、
アルファで例のレンズ(何)で覗いたらこんなんでビックリした。
別にビックリすることでもなかったんだけど。
最近ほんとに視野が狭くて頭の回転が遅くていかんです。
あ、視野って、自分の視野ね、画角じゃなくて。
いや、いいのか、画角っていう言い方でも。
まあそのへんはいいや。

***

あんまりにも飽和しすぎて思考がどんどん危険なほうに行ってたので、
こんなときは、と思って整骨院に行ってきました。
それで、左手首がもう1ヶ月以上痛いし、首肩凝り酷くて眠れないよ、
と訴えたら、整体のあとで首と肩にテーピングされてしまいました。
うーん。なんだか重症。しかも高くついてしまった。あーあ。

脳内執事と戯れるブログを書いていたんですが、
去年の夏からさっぱり更新していなかったので、
執事に「お暇が頂きたい」と言われてしまいました。
あれはWordPressで運用しようかずっと悩んでいるところ。
プラモだの多肉だのを考えたら、更新頻度は問題にならないし。
しかしこれ以上ブログを増やすのかと。

これでも、心と体が元気でやる気に満ち溢れているときは、
全部のブログ更新してもまだ足りないんですけどね。
元気じゃないときに限って現状に不満を感じる。
不満があるから元気じゃないのとは、これは違うんですよね。

無題。


私が稲城に来た頃にはもう矢野口は高架だった。
「矢野口」という駅が「高いところの駅」という認識しかなかった頃、
ふと思い立って夜中に降りてみたことがある。
その頃は今ほど明るい場所じゃなかったように思ったし、
まだ都内から出てきたばかりで、新橋に勤めていた私は、
この真っ暗な地域が東京都だということすら未だ衝撃だった。
線路に向かう道と踏み切り注意の標識は未だに残っている。
そのうちに無くなってしまうのかもしれないと思うと、
ついカメラを向けて、それでも何度も撮らずに通ってきた。
これを撮ることが、また、私の中では大きなことだった。

***

どうにも飽和してしまって、会社を休んでいる。
今の会社に入ってからは休みすぎているという自覚はあるし、
いい加減にしないといけないとは思っているけど。
ただ独りで考え事がしたい。ゆっくりと心を落ち着かせるだけの。
何の整理もつかない。自分が弱いせいだ、と思うことすら逃げでしかない。
すべて投げ出してしまいたい、と、ずっと抱き締めていたい、の狭間で。
とっくに選び終えたことを覆さなければならなかったり、
優先したかったことをいくつも後回しにしてきたけれど。

そんな想いは、どこにも通じないのだ。

インタラクション。


なんかどうしようもない写真が出てくる日だな。
ぎんはいま大手術中(断中)なので酷い状態でお部屋にいます。
この後お化粧も直したいししばらくかかるかもな。

私は作品というものは鑑賞者の内部で再構築されて初めて完成する、
という一定の結論を得てから、人の作品と向き合うのには必要以上に警戒していました。
その辺の話をすると長くなるのだけど。まあ。警戒していたんです。
ただ、ある人々の作品は私の警戒をいとも簡単に解いてしまって、
ああ、これこそが、アレだ、と思ったもんです。
なんかこう、私がずっと言っているアレです。
もう今はそれを説明する体力がないのではしょりますけど。
いわゆる、インタラクションです。

私はひらがなを習う前からもう文章を書きたいと願っていて、
ひらがなを習い、カタカナを知り、漢字を知ると、ひたすら書く事に没頭しました。
そして、そのことが私の人生に影を落としました。まあ、結果として今があるんですが。
でも、だから、私は生まれてこの方、誰にも文章の書き方を習ったことがありません。
小学校の頃の先生は私のことなんか相手にもしてくれませんでした。
塾の先生が教えてくれたのは問題の解き方だけです。
私の日本語は、まったくの独学で、よって立つべきところがない。
私はずっとそう思ってきました。そのことが私の一番のコンプレックスです。

私はいつからだったか、それはつい数年前ですけど、
文章をメインにして発表活動をすることを辞めました。
それは、自分の持つ劣等感に耐え切れなくなったからです。
だから、同じ理由で写真も辞めるかもしれません。
私が私を許せないのはそういうところだ。
解っているし、こうして文章にすることもできます。
でも、だからなんだというのか。それが一体なんだ。だからなんだ。

私はことばをとても大切に扱いたいと願っています。
けれど、願っているだけで、それが出来ない。そのことがとてつもなく、ツラい。

なんだかな。
最近、ある方の文章に触れて、うっかり警戒を解いてしまって、
また自分の、自分にとって許しがたい色々と向き合っているのです。
まさにこの、今私に起こっているこの現象こそが、
私がずっと口先だけで言ってきた、軽々しくことばにしてきた、アレなんです。

犬のことにしたって同じです。
私は結局、そのことが実際に自分の身に起こったらどう思うかなんて、
ちっとも想像できていなかった。口では簡単に言えますけど。
何もわかっていなかった。わかりようがなかった。
そのことを、知ったり、理解したり、飲み込んだりするのは、苦しい。

これがまさにアレだ。
でも、なんか、こんな苦痛ばっかの現象であるはずがないとも、ちょっと思う。
その辺が、かつて泥沼の底で駄々をこねていた時期とは違うところかなぁ。

今日は真白さんにちょっと手加減してもらおう……(甘いw

あの日も確か雪が降ってて。

銀河と白夜と涼風を代わる代わる撮っていた、個展会場。
だって外はみぞれだか大雪だかで、お客さんなんてほとんど来ないし。
それにあの個展は、はじめから一人でぼうっとするのが目的だった。
自分が前の年までに作ってきた作品を全部並べて。
その中でぼうっとしたら、何が見えてくるんだろう?
きっと、一個一個を作っているときとは、違うものが見えるはずだ。
そう思って、そして、見えてしまった、あの日。


涼風も、ぼうっとしてた(笑) なんだこの顔w

あの日以前と、あの日に見えていたものが、今は何も見えない。
もやがかかって、霧がかかって、いつか真っ白になってしまう。
雪が降って、吹雪になって、それはとてもとても冷たくて。
寒くて、寒くて、ああ、凍えそうだ。指先が痛くて。痛くて。
でも、そんな感覚でも、あるだけいいのだ。

あるうちは、まだよかったのだ。

雪を眺めながらぼんやりと思う。この雪は積もるのだろう。
私の悲しみと同じように。憎しみと同じように。傷跡と同じように。
それなら、そう思うのなら、それは、この悲しみが、憎しみが、傷跡が、
いつの日か跡形もなく消えてしまうことを、私は知ったのだ。
悲しみも傷跡も全部消える。今は信じられなくても。全部消える。

手を差し伸べる。拒絶はされない。しかし受け入れてもいない。
受け入れられていないと思うのは、私が受け入れていないからだ。
自分の弱さを認めるのは苦しい。自分を許すことは耐え難い。
しかしそれをしなければならないのだ。そのように、自分で選んだからだ。
そしてそれを選ぼうと決めたのは、まぎれもなくあの個展の日だった。

優しくないのな。と言う。
優しいさ。と、笑う。甘かぁないけど。そう、付け足して。
このやりとりが好きだな。前にも書いたけど。あるアニメの。
だから、つい言ってしまう。優しくない。
優しいさ、と、悪戯な笑みを浮かべて欲しいばかりに。
甘かぁないけど、と、冗談まじりに諭されたいばかりに。
私は、「愛」という言葉に憧れて、焦がれていて、そして、
私自身を許したくて仕方がないのだ。

あの日私が気づいて、それ以来ずっと私を苦しめているものは、そんなもんだ。

Basic Things


体調も精神状態も低空飛行で、いつ墜落してもおかしくない状態。
ここんとこずっと部屋の換気をしていなかったことにすら、今日の午後に気づいた。
空気の淀みには敏感なはずで、冬場でもしょっちゅう窓を開けていたのに。
ずっと気をつけてやろうとしていた、整理整頓も、掃除も、全部ハンパなまま。
投げ出して、放り出している。
ただ、棚の上に放置していた真白と翠を、寝床に下ろして毎日向き合っている。
もちろん私の今後の作品を作っていくためには、私は及ばない。
しかし目を背けているだけでは何も変わらないのだ。

自分の様子がおかしいことには、気づいていた。
常備薬の安定剤の減りが早くて、体中の筋肉が常に緊張している。
いや、もちろん筋肉が緊張してるのは寒さと運動不足もあるのだけど。

こんな焦燥をめいっぱい抱えたままで書類にサインをして捺印をしようと、
机の上を片付けて姿勢をただし、写経をするときのように筆をとったのに、
結局、予備でもらった2枚とも書き損じてしまった。
ごめんなさい、また貰って来ます……。

真白は私の心の奥底から、私が見たくもない私の醜い心を引きずり出すことにご執心だ。
彼女との距離を開けていたのはそれが原因だった。それが怖かった。
翠は、その傍らに居てただ静かに微笑んでいる。瞳の抱擁だ。
私は翠の心を開け放ちたい。あるいは、こっそりと忍び込みたい。
真白と翠と私の間には、時折殺気すら立ち上る。
私達は本当に長い間こうして会話をするためのネタを仕込みつつ、
そろって会話ができるまで虎視眈々と待っていたのだ。
誰一人手加減できるものは居ない。

この人形達とのやりとりは、人形達の写真で表現できるもなのか。
それはある時期は私にとって重要だったけれど、
今となってはさほど大事なことでもない。

いったいこれから何をしたい?
写真で食べていくために写真家になる?
展示会を重ねて、先生と呼ばれれば満足?
ちょっとの駄文が万が一売り物になって、
その印税で生活ができるようになればそれは素敵?
否。私はもう創作で生きて行こうとは思わない。

私に今必要なことは、創作をする時間だとかお金だとか、
それをするための非正規雇用の仕事なんかもあるけど、
それ以上のものがある。生半可ではできないことだ。
私はまずそれをするための環境と習慣を(自室でね)作らなければ。
でもその手段すらまだわからない。それでも今は考えるんだ。

私がさまざまなことを許すことができずに憎んで恨んでいるのは、
自分自身を許さず憎み恨んでいるからだ。
もしも自分をこの憎悪から開放できたら、許せたら、
もしかしたら世界は見たこともない色を見せるのかもしれない。
でも今の私は疑心暗鬼と懐疑心で生きている。
そして「私がそうならなければいけなかった原因」をなんども蒸し返す。
しかしそれは、そのときに本当に辛かったと真摯に伝えなかったのが悪いし、
それを告げて軽くあしらわれる程度の人間でしかなかったことが悪い。
私は、家族の中で、社会の中で、自分自身の中で、
どのように生きることが正しく、正しいように思われているのかを、
いつでも考えていた。
だから写真一枚撮るのにも、どう撮るべきなのか、が先行して、
自分の撮りたい絵などほとんど撮ったことがない。今もそうだ。
ときどき、わたしはそれを許して、撮りたい絵は撮れ、と自分に命じる。
そうでもしなければ、続けることもできない創作活動だ。
いっそやめたほうのが楽になる。きっと生きては行けないけれど。

許すことができない。
私のすべての存在を、許すことができない。
このかたくなな思いに、鵜川はただぽつりと言う。

お前には幸せになって欲しい。お前が幸せだと俺たちも幸せだ。
だけど、お前の幸せと俺たちの幸せは、全く別のものだ。
それは、お前の人生と俺たちの人生が、もう二度と交差しないことを意味する。
俺たちは平行のまま互いの命を終える。その後のことはわからない。
だが平行にいるからこそ、お前の今の不幸も、苦痛も理解できる。
幸福になるのはおまえ自身だ、他の人間がとやかく言えるものではない。
たとえ誰かがお前を不幸にしようとしても、わかるな。
不幸になるのもまたおまえ自身だ。おまえ自身が選ぶことだ。
人の悪意なんてものは、本来、どうってことのないものだ。
悪意によって傷つくのは、お前が癒しかけてきた傷を無遠慮に引き裂くからだ。
だからお前はそういうものから身を守らないとならない。
自分自身で。
その一番の力を身につけることは、自分を許すことだ。

俺たちはお前の幸せの手伝いなどはできない。
俺たちは俺たちの人生がある。そっちを全うする。
だからお前もそうしないとならない。だってあのとき、死ななかったんだろう。
あれで死ななかったなら、そのときに覚悟はできたはずだ。

甘ったれるな。惑わされるな。中核だけを見つめていれば決して迷わない。

無理難題ばかり。そこが愛おしい。
たまりかねて説教しにわざわざ出てきてくれたんだろうから、
ちょっとは立ち直っていかないとねぇ。

喫茶店で考え事。


悲しい目をしている。あまりにも悲しい。
この男と居ると世界のすべてが悲哀を帯びて見えるようだ。
別に不幸な境遇でもない。
両親は亡くしているが、独立した後のことだし理由も真っ当だった。
学歴が高く、金にも女にも不自由しているようには見えない。
病弱なところはあったが、別に命に関わるものでもない。
朝日は、目の前でコーヒーをかきまぜている圭吾を観察して、
ああ、やはり今日も悲しい、と思った。
悲しげである、とか、かわいそうだ、という表現は合わなかった。
「悲しい」のである。

バーカウンターの奥でバリスタがせわしなく働いている。
カウンター席に座った若い男女が肩を寄せながら微笑み合っており、
それを眺めながらタバコを吸っている老紳士がいる。
地下にある喫茶店は、観光地の喧騒から離れて一息つくのにちょうどいい。
テーブル席では、大きな荷物を持った女性のグループが話に花を咲かせていた。
微笑ましい、休日の午後の喫茶店。
しかし、この空間に圭吾が居るというだけで、どうしようもなく悲しかった。

っていう話をぼんやりと考えながら、年明けの鎌倉で歩きつかれて、
「茶豆みにこむ」という喫茶店のコーヒーとケーキを頂きました。
朝日と圭吾はいつも何か、どこかでコーヒーを飲んでるんですけど、
いつもどこかでコーヒーを飲んでるだけだからさっぱりお話になりません。
でもその風景を書き続けたら何かのお話になるのかなあ。
人生ってそういうもんなんだよな、なんて、思ったもんです。
こういうのもまあ、いいんだけど。
こういうのを書きすぎると、話にオチをつける能力がなくなるんですよね。
もともとないんですけど。まとめたり、落としたり、できないのはよくない。
ところで、私は銀座という街が心の底からきらいなので、
不穏な雰囲気とかいやな感じとか悪い予感を出したいときに、
登場人物を銀座のカフェで待たせてみることがあります。
いや、きらいというか、憎んでいるといってもいい。
結局私がその様子を描写するのに耐え切れなくなって、
書くのをやめちゃうんですけど。
そうやって書けてないお話もたくさんあるなぁ。
ここのところ体調が悪くて引きこもっていますが、
また居心地の良いカフェを開拓しに出掛けたいですね。
鎌倉は特に、なまえは知っていても入ったことのないお店がたくさんあるので、
またゆっくりできるときに行きたいと思います。
茶房雲母さんも、この前偶然通りがかって……疲れ果てていなければあんみつ食べたのになー。

サイトを通常運転に戻しました。

決して愛犬捜索を打ち切ったわけではありません。
サイト内であちこちに話題が分散してしまうのを防ぐため、
愛犬捜索関連の話題を専用ブログに切り出し
サイト自体は通常運転に戻しました。

家族の中でWEB上にサイトを持っているのが私だけだったため、
このサイト上でお知らせをしたまでで、
このサイト自体は愛犬捜索のために立ち上げたものではありません。
何しろバタバタとしていて何も追いつかずでしたが、
なんとかブログの設置と整備ができましたので、
今後捜索の話題はそちらに集約させて頂きたく思います。
ご理解をよろしくお願い申し上げます。

おさむうございます。


ナナさんもマフラーまいちゃうよ。
ところでこの子はずっと人造人間17号っぽいなと思ってたんですけど、
実際に手にとって見てみたり写真撮ってみるとますますそれっぽくて、
それゆえにナナさんって呼んでます。似てるよね。かわいい。

いやはや、最近寒いですね。
とくに昨日がすんごくアレでしたが、
気象情報見ると、稲城市は昨日の朝がた氷点下になったんですね。
まあ、3時ごろ寒さで目が覚めましたもんね……(暖房レス生活中)
ベランダの多肉植物は怖くてまだ様子見てません。
屋内退避させとくべきだったか……。
ハオルチアが凍ったんじゃないかと心配しとります。
なんか、雅楽の舞だけはちょっと弱ってきちゃったんで中に入れたんですけどね。
多肉ブログもぜんぜん更新してなくてそろそろ書きたいです。
虹の玉さんとオーロラさんがいま真っ赤になってます。
他の子も紅葉中。

ところで上の写真、佐助稲荷ちかくのカフェレストランでパスタ食べたときのです。
パスタほとんど写ってないけど。
年末あたりからずっとパスタだのピッツァだのイタリアだのにかぶれてます(笑)
「食べて祈って恋をして」って映画にハマッたのが原因なんだけど、
まあそれ以前から「リストランテ・パラディーゾ」にハマッてたので、
イタリアにかぶれてる期間は割りと長いw
「食べて祈って恋をして」はDVDだけでは飽き足らず、原作本も買いました。
英語ですがさほど難解でないので読みやすくてよいです。

洋書は「朗読者」を読んで以来2冊目ですが、「朗読者」も平易な英語で読みやすかったです。
日本語の小説はもちろん日本語なりの色気がありますが、
英語の小説もまた英語なりの色気があって良いですね。
でも母国語じゃないので、やはり読むのはゆっくり。
その分長く楽しめる、と前向きに考えてますw

それにしても、洋書のペーパーバックはいい紙だなー!(また紙の話(笑))
いや、もちろん質的にはぜんぜん良くないんですけどね!でも良いですよね!
そういえば、わら半紙ってまだあるんですかねー。
昨今の小中学校は上質なPPCとか使ってんじゃないかと思っちゃいますが。
もしまだあるならまたわら半紙に印刷したプリントとか触りたいです。

あれ、何の話だっけ。