タマが見てる

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あーもうだめだー
と、寝転がったらタマ。
今回の修羅場山では、なにくれと傍で見守っていてくれた。

永く険しかった山もそろそろ下山だ。
今週は非常にツラい週になるということは、先週の日曜日から解っていたが想像を絶するものだった。
疲れすぎて大泣きした夜もあった。
いま気を抜いたら足を踏み外すのは明白なので、下山こそ気を引き締める。

ゆっくりと心身を回復させたい。
必要だったとはいえ、追い込みすぎたかもしれない。

作品完成&搬入完了。


お祝いにパンダカレー。
これを切り崩して食したときの私の精神状態を想像してみてください。
実際は、想像をはるかに上回ります。

本日、上野・東京都美術館に東京展の作品を搬入してまいりました。
昨夜荷造りの段階で、画面をセロテープが襲撃する事件もあり……。
本当に今回初めから最後までスムーズに行きませんでしたが、
何とか作品を受け取っていただくことができたので良かったです。
A1パネルを2枚ハンドキャリーは厳しいかなと思ったのですが、
持ってしまえば案外持てるもので。
ただ、梱包材を持ち帰るための袋を持参し忘れてリュックに詰め込んだので、
すごい大荷物を抱えて帰るような感じになってしまいました。ははは。

初め、どこからどう入ればいいのか解らなくて、
正面玄関から入ってしまったんですが、当然展示室しか見当たらず、
インフォメーションで伺ったら「関係者入り口におまわりください」と…。
うわー、関係者かぁ、と妙なくすぐったさを感じつつ、
東京都美術館の裏側(搬入口)に潜入(違)してしまいました。
美術館の裏側なんか見る機会に恵まれると思わなかったし、
昔、茶道習っていたときの親師匠に連れられてよく華展見に来た場所だし、
エレベーターはでっかいし、ひたすら一人でハイテンション。
なんか今回これだけでも凄い貴重な体験だったなー。

今回はかなり厳しい制作だったけど、何とか無事に搬入できてよかったです。
あとは、実際に展示されてるところをちゃんと見て、
壁にかかってる状態で作品と対峙したいです。

わやくちゃー

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待ち針と
ピンと
刺繍針と
縫い針と
ビーズ針

いま使ってるのはうち2本

妙な取り乱しをしてわーわー泣いたせいで作業時間がおしている……
寝て起きて会社行ったら速攻で帰ってきて大工仕事しなければなりません
集合住宅で釘を打つのはイロイロ大変

ぺそぺそ。

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展示作品の制作が一段落したので、更に別件の制作作業。
あともう一件、二件ぐらい?同時進行させねばならない。
楽しいので体力の消耗に気を付けないと知らぬ間に倒れるかも。
この夏は一度もダウンらしいダウンをしなかったので、案外これからまとめてダメージが来るかもしれない。

創作の夜は更けていく。
明ける前に眠るよう気を付けたい。

はじまり。


来月の東京展に出品する作品のプリントが上がってきたので、
パネルに仕上げる作業を昨日、今日とやって、なんとか形になった。
あとはしっかり乾燥させてヒートンを打って……。
うーん、完成までは今一歩。

今までは人形を作るのと、彼らの語る声に耳を傾けること、
そしてその世界に目を凝らすことで大体力尽きていた。
だから、それをカメラを用いて写真という手段で切り取ることは、
いわば仕上げの作業であり、それだけで「額装」の意味合いがあった。
だから撮り終わってしまったら、そこで力を抜いてしまっていた部分もあった。

今回の作業はそれとはまるで比較にならなかった。
準備、撮影、選別、プリント後のパネル貼り、どのタイミングでも深く細い呼吸をしていた。
瞑想をするときのように。

実は、以前よりも撮るところに傾けるエネルギーの密度が段違いに上がっている。
だから、そのエネルギーを活かしきるだけの準備を万全にしなければならない。
でも、今回のように準備の段階で息切れしてしまったり、
自分の思考が追いつかなかったり、凍結してしまったり、不慮の事故が起きたりする。
生き物を相手にしているのだ、と思う。人形であって人形でない。

また、今回は特に私のコンディションが悪すぎて、取りこぼしが多く、
もっと開けていたらもっと出来たのにな、と思っていたのだけど、
実際にパネルに仕上げてみると、これ以上は無理だったかもしれない、とも思う。

今年に入ってプリントがえらく大きくなってきている。
展示会の様子はアルバムにまとめているのでよく見返すのだけど、
最初の頃はA4でも大きいと思っていた。
「回帰」展で、L判のプリントをちまちまと沢山並べたのを思い出す。
展示の回数を重ねるごとに、作品は大きく、数は少なくなっていった。
だから、「これが被写体です」と人形を見せると驚かれることも増えた。
来月飾る作品の被写体は、1/6スケールというやつで、
頭からつま先まで入れても30センチにも満たない。

だが、おそらくこの作品から実物の大きさを想像することは難しい。
1年以上ぶりに、「これが私の作品です」と胸を張れるものが出来たと思っている。
徐々に錆付いた扉が開き始めており、そこにさす光は月光のような静かさで、
それでいて、強く強く言葉を語り始めている。

今回、2枚展示するうちの片方は、岩手県陸前高田市で撮影した。
私が何枚風景を撮っても見えなかったものが、ようやく見え始めたような気がする。
これもまだ、始まりの、始まり。

インプットとチャージ

今日は病院に薬を取りに行きがてら、上野の国立西洋美術館に行って来た。
とにかくインプットが足りないと感じていて、何かに感動したかったのだ。
夏休みだから何かしらやっているだろうと思って上野公園を歩いていると、
ツタンカーメン展が酷いことになっていた。
うわさを聞くとこれがまた酷い。ツタンカーメンが不憫でならない。

結局、国立西洋美術館に一度も入ったことがないような気がして、
ベルリン国立美術館展のチケットを買った。
あの庭には何度も入っているけど、建物の中はやはり初めてのような気がした。

目玉は、このフェルメールの「真珠の首飾りの少女」だったようだが、
案の定まったく別の作品に感動して帰ってきた。
そもそも、この絵画の前には人だかりが出来ていてほとんど見えなかった。
美術館の企画展はこういうところがちょっと苦手だ。
実物を前にした感動に比べたら、図録から得られるものは半減するが、
それでもやはり買ってきてしまった。
そういえば今まで買った図録や写真集をことごとく実家に置いてきている。
折を見て自宅の方に持って来よう……。
しょっちゅう見るものでもないが、傍にあるに越したことはない。
ところで、レジで前にいた人が2万円以上もグッズを買いこんでいて、
ちょっと悲しい気分になった。
美術館の企画展はこういうところも苦手。


補充してきた薬……。
もうほとんど頓服として飲んでいるので、2週間分をチマチマとケチって1ヶ月くらい持たせている。
入眠剤はずっとマイスリー(右)だったが、ジェネリック医薬品に変わった。
薬価が安いのでお財布が助かるのはいいが、いつのまに認可されたのか。
マイスリーはさほど新しい薬でもないのだけど、なかなかジェネリックの認可がおりなくて、
短時間作用型の入眠剤としてはずっと独壇場だった気がする。
一緒に飲んでいるデパスも今はジェネリックのエチカーム錠に変更になっている。
一時期ほど深刻なうつ状態でもないので、成分が同じだと言われれば気にせず飲むし、
実際効果に大した差もないように感じるけど……。
うーん、ま、いいや。

月のヴィジョン


相変わらず制作作業中。ちょっと寂しくなったので鈴木さんに傍に来てもらう。
鈴木さんは迷惑そうな顔をしながらも隣に居てくれる。ありがたい。

月について考えていた。
最近ずっと海について考えているのだと思い込んでいたのだけど、
そうではなくて、私はその波間や頭上に在る月のことを考えていた。
月と、そして風について。

私にとって、月は叶わない恋の象徴だった。
太陽や、地上の風や、波間に揺れる自分の姿に切なく焦がれている。
心に刻まれた癒えることのない傷のように夜空に浮かんで、
ぼんやりと白く輝く様は、穢れのないひとの瞳のようだ。
青く透き通って内側から光を放つような、あの眼球を思い出していた。
唐突に濡れて、伏せられたまつ毛から音もなく涙が零れる。
その様子は、真っ暗な夜空を星が流れる様によく似ていて、
なんて悲しい光景だろう、と思った。
ふんわりと風に溶けてなくなってしまいそうなその体を、抱き締めたかった。
抱き締めたくて、それが出来なかったのは、一体誰だったんだろう。
その知らない誰かの記憶がよみがえる度に、私は月を想う。
あのひとの歌声を運んできた風を想う。

決して穏やかではなく、凶暴な愛情だったのに、それをひた隠していた。
最期のとき、その慟哭に咽び泣いて胸を掻き毟り、何度も名前を叫んだ。
その悲しみも、癒えることのない傷も、その両腕に抱き締めてきた。
あのひとを抱きしめることができなかっただけ、ただ、じっと抱いてきた。
その体をゆっくりと風が抱き、そして海が抱いた。

夢の話し。

開きそうな開かない扉。


先日実家に帰ったらトイプードルが太っていた。

それはさておき。
錆付いた鍵のかかった錆付いた扉がある。
開けようとしても鍵は朽ちて折れてしまうし、押しても引いてもさっぱり動かない。
押してダメなら引いてみろ、引いてもダメなら蹴破ってしまえ。
蹴破ろうと試みて、離れたところから「せーの」で助走を始める。
しかしいざ扉の一歩手前まで来ると、「おっと今の練習練習ー」と立ち止まってしまう。
それを繰り返し繰り返し、もう何往復したかしれない。
そんなことしてる場合か、と、強引に鍵を壊してもらって、
鍵が壊れたのだからあとは本当に扉を蹴破ってしまうだけなのに、
まだ押してみたり引いてみたりウンウンやっている。
それが無駄だと知りつつやっているのだから意味がない。

無理にでも自分の体を捻じ込ませてみると、扉の向こうには途轍もなく恐ろしいものがあると知る。
見たくない、知りたくない、向き合いたくない、怖くて怖くて仕方ない。
そうしてまた目を塞いで耳をふさいで心を閉ざす。同じことの繰り返しだ。
こうなったら、もう無理矢理に後戻りのできないところまで自分を追い詰めないと、永遠に八甲田山状態だ。
前にも後にも進めない。そしてそこに甘えきってしまう。そんなことは最悪だと思った。
扉を開けてその向こうのものと対峙するのと、このままここで甘えきって終わるのとでは、
後者の方が圧倒的に恐ろしい。
私はほんの少しだけ開いた扉の板と板の間に、この体をぐいぐいと捻じ込んだ。

そうして、挟まったまま夜が更けた。
挟まっているなりに、なんとか扉の向こう側を薄目を開けて盗み見てみる。
正面から対峙するだけの力も勇気もない。そんな状態で、先日撮った写真を見た。
そして、ある事実に思い至って愕然とした。次に呆然として、呆然としたまま朝になった。
再び先日撮った写真を端から端まで何度も見直して、そこからようやく2枚を選び出した。

来月の展示に持って行くつもりだった旧作のパネルを破壊してしまって、
新作を作らなければならなくなった時には、ずいぶん自分を憎んだが、
今はそうしてよかったと思うし、そうしなければならなかったと思う。
あの時にあのパネルを破壊できなかったら、もう創作をやめるしかなかった。
先刻、なんとか印刷屋さんに新作を託すことができた。あとは納品を待つ。

今までいわゆる「写真を撮っている人」や「写真家」さんに言われてきた言葉を思い出していた。
それにいちいち傷ついたり、ガッカリしたり、なにくそと思っていたけれど、
そういう気の持ち方がそもそも甘ったれていたのだと気付いた。
それこそが、この扉をここまで錆付かせてしまった原因でもある。
私は人形を撮っているのではなく、写真を撮っているのでもない。
そう断言することがずっと出来なかった。まだ出来ない。でも、きっともうすぐ出来るようになる。

いまはまだ、錆付いた扉に挟まったまま。

ガレキーホルダー

先日、11日の深夜池袋出発の夜行バスで、岩手県陸前高田市に遊びに行った。
いくつかあった目的は無事に達成できたが、何しろお盆を舐めていたので酷い思いをした。
大体、陸前高田市の仮市庁舎前バス停に6時過ぎには着けると見込んでいて、
それなら涼しい間に方々の予定を済ませて、あとは竹駒でノンビリしてればいい、なんて……甘かった。
往路のバスが臨時便で、普通の観光バスだったため、2時間おきに休憩が入るのに加えて、渋滞。
結局現地に着けたのは10時前だった。とっくに日は登っている。

毎度のことながら、沢山学ぶことがあった。
しかし今回はあまりの疲労でこちらの吸収率が悪かった。
いろいろ取りこぼしてきているので、身辺が落ち着いたら冬が来る前に回収に行くつもりでいる。
私の「初心」は、今回はすれ違いもしなかった。単に留守だったのか、もう他へ移ったのか。
私が気付いていなかっただけかもしれない。


ガレキーホルダーはどうも増える一方で、東京では別々の持ち物につけているが、
陸前高田市に遊びに行くときは、全部をまとめてリュックに括り付ける。
やはり3つにもなるとジャラジャラする。
瓦礫の中のプラスチックから作られたキーホルダーには、
沢山の想いや知るはずのない生活、思い出が凝縮されているので、
身に着けて持ち歩くことに抵抗や違和感を覚える人もあるかもしれない。
だから、私が身につけて持ち歩いているのを見て眉を顰める人もいるかも。
復興支援のためではなく、「持ちたくて持っている」ということに、
どうしても罪の意識を感じてしまうのはどうしてだろうな。
陸前高田に遊びに行くことにも、いつもいつも言い訳ばかり考えている。

今回、実は人形を撮りに行った。
私は人形を撮っているけれど人形を撮っているわけではないので、
「背景」にしようとした、だなんて思いつきもしなかったのだけど、そう見えるのは仕方がない。
だから常に言い訳ばかりを考えていた。
どう言ったらいいのか未だに解らなくて、幾度も自問自答しているけれど、結局答えは出ない。
何がここまで私をあの場所に引きつけるのか、あの郷愁のような、憧憬のような感情は何なのか。
私とかつて共にあった「初心」という名の彼が、なぜあの場所に留まり続けているのか。
そんな気がするのか。
風景の写真をいくら持ち帰っても何も解らないので、視点を変えないといけないと思った。
だからいったん人形の視点を介してみることにした。
まあ、そんなことは説明したって言い訳したってどうしようもないんだけど……。
会いたい人も食べたいものもあるから、行く、っていうだけで、いいんだろうな、本当は。


産直はまなすさんで、また一個買ってしまった。
ガレキーホルダーは、はじめの2個は通販だったので選びようがなかったのだけど、
3個目は5月に産直はまなすさんで購入したので、ちょっと時間をかけて選んだ。
色や組み合わせではない。もっと別のこと。今回もその基準で選んだ。