航海日誌

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……後悔日誌。

だいたい100枚のA5ノート、5冊。
さすがにずっしりする。
昨日というか、日付が変わってしばらく後に、5冊目の最後のページを埋めた。前はこれを一冊持ち歩いて出先で書いていた。
今は持ち歩くのは野帳に変えたから荷物はだいぶ軽くなった。

1冊目は2010年12月12日から。
ちょうどいろいろ創作活動に対する私自身のアプローチが変化していった時期だ。
この頃から本格的にノートの付け方や考え事の仕方といった、「創作に関する諸ストレスの対応」に取り組み始めた。
いま思えば、それをこんな時期までやらずに過ごしたことが酷い怠慢なのだ。
この怠慢によるロスは大きい。

ログブックも今度で6冊目。
必ずしも毎日書けているわけではないから日記とは呼べない。
その日の出来事を書くことは少なく、文体もバラバラだ。
落書きもする。
このノートに「ログブック」という名前をつける前には無かった自由が、今はある。

年の瀬

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この季節に、心底から決意したはずで。
その決意を覆したことに対する整頓がつかない。
まだ整頓がつかない。
気を抜いたら逃げ出してしまいそうだ。
でも逃げてる暇なんかない。
全力で逃げ出したいけど。何をやっているんだと自分に問いたい。

しばらく様子みてダメそうだったら安定剤増やしてもらう……。
落ち込みが酷くて考え事と勉強の邪魔。困った。
断腸の想いで決意したことは、何があろうと最後まで貫くべきですよ。
自分のために良くないから。
寒さがしみる。

過ぎていく季節。


久しぶりに実家に帰ったら、
小さい頃からお世話になっていたお寿司屋さんが廃業していた。
何かあるとここのお寿司屋さんで出前を取ったし、
父がまだ生きていた頃にお店で食事をしたこともあった。
私がまだ小学生の頃だったかに奥さんが亡くなって、
その後もずっとご主人は頑張っておられたのだけど、
さすがにもうお年だし、この地域では商売も立ち行かないのだろう。
実家の周りにはいくつも個人商店があったけれど、
そのほとんどがもう廃業していて、
私はその廃業までの過程もある程度は見てきた。
そもそも、自分の実家も小さな工場だったけれど、
どんどん追い詰められて廃業して、廃業後の暗澹も経験した。

駅前には、最近になって大きなマンションが出来て、
大きなショッピングセンターも出来た。
便利になった、と喜ぶ人がいる。街が活気付いた、と喜ぶ人が居る。
でも、私が「帰りたい」と思う場所は年々失われていく。
もともと帰りたい場所ではなかった。つらい事が多すぎて。
それでも、やはり、私にとってはあの土地がふるさとだったのだ。
私のふるさとに、あんなマンションはなかった。
あんなショッピングセンターはなかった。
あんな小奇麗な分譲住宅もなかった。
深夜まで煌々とサインが点いている100円パーキングもなかった。

決して、幸福ではなかったけれど。
決して好きな場所ではなかったけれど。
それでもふるさとだったのだ。

数ヶ月、数年の間に、容赦なく奪われていくかつての風景を、
懐かしんだところでまた古傷を掘り返すだけだけど。
どんなに痛くても、どんなに苦しくても、掘り返せ、と言う人がいるから。
まったく、この先に幸福なんかないってことも解っているのに。
傷口がどんなに痛んでも、今はひたすら抉り続けろと。

独りで立ち向かうには心細すぎる。
かといって、誰かを巻き込むには遅すぎる。
心を決めたつもりで、いつまでも迷い続けてしまう。
そのままのハンパな心構えで居続けるつもりなら、
もう何もかも投げ出してしまえよ、と、
ウシロに叱られ続けてもうすぐ1年が経つ。

映画の半券

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2010年の4月以前は手帳に貼る習慣がなかったようで、
実家の机の中からバラバラと出てきた。
手帳に貼るような仕組みを作ってからしばらく経つ。
最近、パーソナルな情報蓄積・整理のシステム作りに燃えている。
何の役に立つかとか、何のためにやるのかとか、そういうことは考えてはいけない。

気管支炎……

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木曜日ぐらいから調子が悪くて、土日を布団で過ごしてもダメだったので病院に行ったら、薬をドッサリ貰った。

薬をジェネリックにするかどうかと聞かれたが、マイスリーの一件以来どうもジェネリックには不信感。
先発品を出して貰った。
高くはつくけど、飲んで効かないよりは……。

診察の結果、気管支炎だという話しになった。
なまじ、昔に喘息をやっているので長引かせたくないため、絶対安静で今日中に治してしまいたい。

読書がはかどる。

うんこ。

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風邪を引いた。
聞くところによると木曜日ぐらいから酷いテンションだったらしい。
発熱と酷い咳に辟易しつつ、黙々とみかんを剥く。
風邪にはみかんが効くのだ。
いわゆるプラシーボ。

作品はうんこだ、と唐突に思い当たった。
創作活動は食べたり呼吸したりすることと同じだ。
だとしたら作品はうんこだ。
生きるために創作活動をしているのであって、作品を作るために創作活動をするのではない。
つまり、食べるのは生きるためであって、うんこを出すためではない。
だがうんこを出さないで食べ続けることはできない。
便秘が3日も続けば頭のなかはうんこのことでいっぱいになる。
ツラいし苦しい。
かといってうんこをしないために食べないで生きるというのでは本末転倒だ。

私が言ってるのはそういうことであって、
「作品」が何か素晴らしく評価されるもののように信じている人とは話が通じない。
後世にまで残るうんこを出した人が偉いのか?
品評会で「よいうんこが出ましたね」と表彰されるために良い食事をするのか?
そんなバカバカしいことのために食事をするぐらいなら、私は死んだ方がましだと思う。

観た映画の量

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2010年4月まで遡って、今まで観た映画を情報カードに書き出す作業をしている。
カードを収納するときの並び順は色々考えたのだが、結局自分の歴史順にした。
作品名だの主演俳優名だの公開日だので並べようとすると、
どうしてもアレコレ並べ替えたくなってしまう。
自分が見た順番であれば揺るぎようがない。
DVDで観た作品は必ずしも覚えていないが、
だいたいの場所に放り込んでおく。
書き出していくと、その時何をしていたか思い出すこともある。
中には思い出したくもないこともあるが、それはそれだ。

なぜこんなことをしているかというと、観た映画の「量」が知りたくなったのが一つ。
せっかく観た映画を自分のデータベースに蓄積できてないのは、
あまりにもったいないというのが一つ。

私は自分から好んで映画を見る方ではないから、ほとんどはご主人様に連れて行って頂いている。
ところが、やはり本来映画を観るのが苦手で観ないので、
その苦手さが先行してしまって、どうもいかんのだ。
無理に付き合っているようなテイになってしまう。
ただ苦手なだけで、苦手さえ克服できれば楽しいものだとは思うのだが。
それで、一体何が苦手なのか考えてみたら案外簡単だった。

大きなスクリーン、素晴らしい音響で映画を観ているのに、映画館ではメモがとれない。
私のメモなんてだいたいその場には一見まったく関係のないことが書いてあるので、
いわゆるメモ書きとはちょっと違う。
その時の自分の思考を書き留めている。
忘れないためではなく、忘れるためのメモだ。
それがもし重要な思考だと感じたら、私はずっと覚えていないといけない。
その時に頭の中から即座に掃き出しておけるメモは、私の精神安定に欠かせないのだ。
それなのに映画館ではメモがとれないから、
私はメモがとれる状況になるまで脳内を何分割もして別々に動かさないといけなかった。
それが私を映画から引き離した原因だった。
DVDなら何の苦痛もなく映画を見続けられるのは、即座にメモがとれるからだ。
また、メモを取らない、思考は忘れる、という選択肢がない以上、
私はどうにかしてメモを取りやすいシステムを構築すべきだったのに怠った。
その怠慢がまねいた「思考の捕獲漏れ」という悲劇は私に大きな損失を与えた。
いまの私の展示作品を見れば一目瞭然である。

その怠慢がどこから発生したかというと、
システムのシャーシが組めていないので、
そもそもメモの取りようがないというのが大きな原因だ。
創作活動にシステムなんか面倒なだけだ、と思われる方もあるかもしれないが、
私の場合は少しでもストレスを軽減させるための仕組みが必要で、
その仕組みをもう何年も模索している。
でも結局はどれも上手くいかなかった。
けれど、もうそろそろ腰を据えて組んでいかねばならない頃合だ。

そんなわけで、最近シャーシを組んだばかりの私のデータセンターに、
今まで観た映画のデータを放り込んでいる。
カード1枚に1作品。
こうして見るとなかなかの量だがまだ半分といったところか。
初めはホネだと思っていたが、こうなってくるとなかなか楽しい作業だ。
楽しいことは継続できる。
何かを真剣にやろうとするときは、自分に優しいほうがいい。
決して甘やかすのではなく。

山越え谷越え

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実家のいぬが私をシカトする。
膝には乗ってくるくせに呼んでも顔を向けもしない。

埃にまみれながら捜索したが、やはり重要な紙切れは廃棄してしまったらしい。
というより、捜索を続けるにあたり、捨てたときの記憶が蘇ってきた。
間違えなく自分の意思で捨てたのだ。
ルーズリーフのぶんが残っていただけ良かったとしよう。

本当にそれに価値があるかどうかということは、
それを得てから何十年も経たなければ解らない。
それは日記や記録や経験について、私が長年深く信じていることだ。
そして、何十年も後に「重要だった」と思うことは、
それを得たばかりにはいかにも無駄であるかのように見えるものだ。
いま、あの紙切れについてそう感じるのだから、たいていのことはそうなのだろう。

捜索の過程で、小学生時代の日記が出てきた。
自発的なものではなく、先生に毎日提出してコメントを書いてもらうようなものだ。
酷い内容だった。
教師の機嫌をとろうと小学生「らしい」文章を書いてみたり、
気が触れたような文章を書いてみたり、
落ち着き払って取り澄ました文章を書いてみたり。
あの頃、確かに私の精神は崩壊を始めていて、
それから高校卒業までの間に一度壊れ、暗黒時代へ突入する。
それを予感させるには充分のイカれた内容だった。
あの頃の文章を読み返すことが出来るのだから、
もう私の中で何かしらの整理がついたのだろう。

さて、一山越えたら次の山が待っている。
急ぐ旅ではないが、踏み出すのは早い方がいい。
まずは荷物を組み直そう。

遺産

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いまになって、なぜ書いた日付を記さなかったのかと非常に落胆している。
私が小説の下書きに日付を入れるようになったのは、中学生になってしばらくのことだろうか。
つまりこれは小学生か中学1年生のうちに書かれたもののはずだ。

小学生から中学生時代には、いま思えば恐ろしい枚数の小説を書きなぐった。
そのうちのある作品の下書きを紛失してしまって、ここ数年血眼で探していたが、
結局目の前の棚にあったバインダーに挟み込んであったという結末だった。
実はこのルーズリーフの下書きではなくて、
もっといい加減な紙切れに書きなぐって封筒かなんかに詰め込んでいた紙束の方が重要な史料なのだが、
捨てたかもしれない。
私はどんなにつまらなかろうと、
一度ある文書の体裁を持った紙切れは何らかの形で保存することにしているし、
それを捨てるとなるとよほど強靭な精神が必要だ。
だがあの時期からすぐ後に訪れた暗黒時代における錯乱状態ではそれも難なくできたかもしれない。
非常に残念でならない。

私が陸前高田市で学んだことといったら、英語の効果的な習得の仕方、
より遠くまで行ける歩き方、自分が予測や期待をするほど他人は自分に関心を持っていないこと、
疲れた時は温かいものを飲むこと、高速バスでの眠り方など、
周囲の人の期待するような内容じゃない。
ボランティアさんたちから「何をまなんだか」など聞く機会もないし興味もないが、
おそらく全く違う感想なのだろう。
私は陸前高田市で学んだことをアトリエに持ち帰り、
それを吟味する過程で2枚の写真作品を発表した。
それらの作品が私に問うことは非常に面倒で、痛みを伴い、
体力も精神力も忍耐力も要ることだった。
自身の在り方を根底から見つめ直す作業である。
生きる気力すら失いかねない。
だが、今までなんとか逃げおおせたものから、いつまでも逃げられるとも思えない。
何しろ、奴らは延々30年も飽きもせず私を追い回しているのだ。
わたしが奴らに「なぜ追うのだ」と問えば、奴らは「逃げるからだ」と答えるだろう。

タフなストーカーにはもうウンザリだ。
だからといって解放されたいわけでもない。
この心理的現象を「ターミネーターのジレンマ」と呼ぼうと思う。