肩凝り。

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元々は柔軟であったはずのものが強張り、動作に支障を来すとやがて痛み始める。
痛みは次の強張りを生み、痛みは拡張を続ける。
一見して、原因とは関わりのない場所が痛みはじめると、的外れな対応を取りはじめるから、事態は悪化する一方である。

肩凝りと同じだ。
社会の仕組みや人間関係が悪化する時は、大抵こんなシナリオを辿っている。

コントラスト

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心を占める闇の深さにとらわれているとき、私はその闇を生み出す強い光の存在に気が付かない。

苦悩の嵐のただ中で立ち尽くすとき、私はそれを内包してなお穏やかな大気の存在に気が付かない。

騒音と静寂が、
昼と夜が、
憎しみと愛情が、
デジタルとアナログが、
生と死が、
虚偽と真実が、
まったく同時に存在していることに気が付かない。

あまりにも当たり前で、どこにでもありふれていることに、私は気が付かない。
コントラストが強ければ強いほど、そこには異なるものが別々に存在しているかのように見えるからだ。

せんねん灸太陽

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例によって例のごとく、肩こりを放置してたら首がまわらなくなりましてね。
痛くて痛くてもうちょっと動くのもツラいありさまで。
冷えで症状が悪化してるのはわかってるんで、お灸据えようと思ったんですが、今の季節は換気が寒くてどうも。
で、会社の近所で太陽を仕入れてしまいましたよ……火を使わないやつ……。
ちょっとでも良くなるといいんだが……。
鍼打ちに行く時間もお金もないから、本当気を付けたい。
でも寒いと首縮めて歩いたりするから、そこにいろいろ畳み掛けるとだんだん故障してくるよね……。
参ったー。

すべては考え事のため

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先日「トーマの心臓」と間違えてしまった「風と木の詩」を、文庫版で大人買いして読んでます。
やっぱりアニメはほんのさわり程度だったんだなぁ。
話が重くて深くて読むのに時間かかります。
でも読むのと読まないのでは、今後の考え事の幅がかなり違って来ると思うので。

いわゆるBLというジャンルのはしりの頃の作品なんだけど、
「BL」っていうマーケットが確立して肥大化する前の作品は「BL」なんて安易な言葉じゃ呼べない。
もちろん、今のマーケットの中にあってもそういう作品はありますけどね。
やっぱり、稀ですよね。

ところで、今日は早起きして座禅会に参加していました。
運良く近所のお寺で広く門戸を開いてくださってて、ありがたい。
以前、座禅研修をさせていただいた建長寺さんまで通うことも考えたんですが、
朝早いし遠いしなかなか現実的ではなくて……。
やはり茶道をやめてからこっち、生活に仏教が足りなくて参ってたので、無理のないように続けたいです。
茶道に復会するには、もう経済的に厳しいですからねぇ……。
着物もお道具も全部実家だし、実家にしか置場所ないし。
元の親師匠が復会しないのに私だけ復会するわけにもいかないしなぁ、とか。

しかし、何年かぶりの結加趺坐は大変足が痺れました(;´ー`)
柔軟体操もやらねばなー。

死について

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Wality万年筆のインクが減ってくると何かの生き物っぽくて気持ち悪いの図。

冷えきった風を頬に受けながら急ぎ足で1駅を歩く間、わたしは死について考えていた。
それはただ言葉や感覚としてだけではなく、
においや感触、温度、音程といった、実感を伴った考え事だった。
涙は突然嘔吐のように込み上げる。
腹の底から吐き出すように一頻り泣いてしまうと、あとにはため息しか出なかった。

「死」そのものは、ごくありふれた現象で、自分自身すらその例外ではない。
恐ろしさは感じたことはなく、むしろどこか親しみのある優しいものだとすら思っている。
病気はつらいが所詮死ぬまでの間だけだ、という考えが、
余計に「死」に対して羽毛布団のような印象を持たせているのかもしれない。

中途半端に投げ出すことなく生を全うする限り、「死」を恐れる理由はないと思っている。
「中途半端に投げ出す」というのは、かつての私が企てていたような生半可な自殺のことを言う。
だから私が自殺を企てることは二度とないだろう。

恐ろしいのは「死」そのものではない。
その後の気持ちの整頓の付け方すら用意せずに、半端に置き去りにされる、あるいは、置き去りにすることだ。
「死」はどこか知らない場所で起こるかもしれない天変地異ではない。
現実に自分自身に起こるごく当たり前の現象である。

「流れ」について

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少しずつ破壊されたり、死んでいったりするものを、
それが破壊されつくしてしまう前に先回りして再構築していけば、
それそのものは少しずつ入れ替わっていくけれど、
「それ」としての存在に大きな支障はない。
この「流れ」を可視化しようと試みている人は、世界中にどれほどいるだろう。
凄くたくさん居る、ということはわかっている。
アプローチの仕方も、それにまつわる学問の種類も、きっと膨大な数だと思う。

私もその一人だが、長い間たくさんのことを怠ってきたせいで、
自分のテーマを言葉で表現することができるまでに、随分時間がかかってしまった。
せめて大学に入りたての頃に今の地点まで考え事が進んでいたら、
今頃はもっと核心に迫ることができたんじゃないかと思う。
後悔先に立たず。いまさらどうしようもないので、今から頑張るしかない。

写真の画面には必ずどこかに焦点の合っていない部分ができるが、
その部分に問題の核心を写し込んでも、鑑賞者の関心を引くことは難しい。
たとえそれを連作品にして、焦点の合っていない部分に注意を喚起しても、
そんな解りづらいものにわざわざ関心を持つ人はいないだろう。
写真を鑑賞するのに、写っていないものを見ようとはしない。
写っていないものは見えない。
先日、顕微鏡がまだウィルスを見ることが出来なかった時代の話を聞いていて、
ふと何か、胸の中にストンと落ちるような気がした。
気のせいかもしれないので、まだ何とも言えない。

尺八奏者の入江要介さんの昨日のブログ。
流れの可視不可視という点でどこか共通することを考えていらっしゃって、
すこし嬉しくなったので……。
お写真撮らせていただいてるのに、実はあまりゆっくりお話ししたことなくて、
入江さんの持たれてる世界観は、音楽やブログから伺うだけなのだけど。
こういうことは直接話すことじゃなくて、何となく共有するってことが嬉しいのかな、と。
思ったりなど……。

満寿屋の原稿用紙

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注文してたヤツが届きました。
B5サイズ200字詰め、ルビ有り100枚入りです。
このパッケージからしてもう気に入らん……じゃあ買うなよと……。
満寿屋は物書き向けの紙屋さんとしては老舗なんですけど、
なんで今こんな展開のしかたしてるのかなぁと首をかしげているところです。
MONOKAKIノートの印象があまりに悪くて色眼鏡かかってるのかもですが、
文房具とか紙とかいうのは、良い物であればこそ宣伝なんかしてほしくないっていうか、
本当に良い物なんだったら宣伝する必要ないじゃんって思っちゃって、
ああ、別に悪口言いたいわけじゃないのにもんにゃりする!!!

要するに、各社のHPを見比べてどうかって話しですよ!!!

ツバメノート株式会社
株式会社相馬屋源四郎商店

満寿屋

良い物なんだったら宣伝する必要ないんですよ。
「売ってるよ」ってことだけ言えばさ……。私はそう思うんです……。

ライフ株式会社
ここはだいたい無難。
コレクト株式会社
このサイト全体から滲み出る「普段使い」感。

あ、まあ、この2社はいいや……。
でも、ツバメとライフとコレクトで私の日々が構成されているといっても過言ではない。
あと別に紹介しないけどコクヨ。あそこはまあ、いいんだよあれで。コクヨはコクヨであれ。

ともあれ。
別に悪口言うつもりなんかないんだけどさー。
MONOKAKIノートが高かった割にあれだったなーとか、そういうあれはさー。
アピカの紳士なノートってのも使ってみたいと思ってるんだけど、
値段と紙を触ってみた感じでMONOKAKIノートの二の舞踏みそうな気がして、
結局ツバメノートかライフにしてしまうんです。どうもねぇ。
もちろんこんなもんは好みの問題なので、好きな人は好きだと思うんですよ。
私の評価はあくまで私の好みに基づいてるんで、そこは勘違いしないでいただきたい。
悪いって言ってるんじゃないです。好きじゃないだけ。

原稿用紙の話に戻りまして。

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PP袋の中にバラバラで入ってます。高級感。買う前は良いと思ってたんだが。
漫画原稿用紙でもあるまいし、いちいち袋から取り出さないといけないのは手間だな。
「書く」ってことのモチベーションを下げる一手間かもしれない……。
満寿屋でも天糊の原稿用紙ありますけどね。袋入りってどうかなって思って買ってみた。
漫画原稿用紙の場合は、用紙1枚あたりにかける時間が長いから良いかも知れないけど、
文章の場合は用紙1枚当たりにかける時間ってそんなに長くない。しかもこれ200字詰めだし。
てことは、頻繁に用紙を取り出さないといけない。
あるいは一度に何枚か出しておくとなると、白紙のうちに折ったり汚したりするおそれもある。
うーん、書くモチベーションを下げる要素が満載だ。どうしたもんか。

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紙を触ってみた感じ、MONOKAKIノートの中身と似てます。当たり前か。
だから書き味もあんな感じなんだろうな。
これも安いものではなかったので、ちょっと唸ってしまう感じです。
実際に使ってみたら感想変わるかもしれないけど。

最近、「原稿用紙」ってコクヨかアピカぐらいしか見かけないなーと思って寂しかったので、
「うちが!!!」って言って売ってるところの紙を買ってみたかった、っていうのが理由。
紀伊国屋とか、丸善なんかも原稿用紙出してるみたいだけど、どこで買えるのか。
あ、紀伊国屋とか丸善に行けばいいのか。でもすぐ手に入らないのは困るなぁ……。
あとはやっぱり、ライフかなぁ。しかし、ライフはどうしてあんなに高いんだろうか。

それにしても、原稿用紙って文具の中でも絶滅危惧種に入ると思うんですけど、
なくなると困る人もまだまだ居ると思うので頑張って欲しいのです。
これから色んなメーカーが出してくるっていう期待が持てない分、
ほんとに今作って売ってくださってるメーカーさんに、やめないでいて頂きたいよ……。
ポメラ買いなおそうかと思った瞬間もあったんですけど、
ポメラ1台で原稿用紙どんだけ買えるかと考えて買うのやめました。
2万円ぐらいだから、そんなに言うほど買えないですけど。

原稿用紙。

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昨日仕入れた相馬屋さんの原稿用紙。

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包装紙で包んでくださる。ありがたいです。

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天糊の冊子によくある、この緑の部分が好きなんだけど、
これには何か決まったことがあるんだろうか?
この緑の謎に迫りたいと思いつつ、別にどうでもよくて放置してる。

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セピアの200字詰め、B5。他に、赤と緑の罫線色があります。
緑はルビ部分がなかった気がするなぁ。
私は推敲するのに余分なスペースが欲しいので、ルビ有りじゃないと使いづらいです。

「表面がつるつるしていてペン先のすべりが良い」って書いてる人がいて、
それはいい意味で書いたんだろうけど、私はそういう紙苦手なので心配だったんですが、
実物見てみたらさほどでもなかったので3冊買ってしまいました。1冊100枚綴りです。
いま注文してる満寿屋の原稿用紙の方が心配かも……。
ある程度腰を入れて書き物をするための紙は、適度にざらっとしてて欲しいんです。
ツバメノートが今のところ最高で、コクヨの万年筆用「澪」が最低。
満寿屋のMONOKAKIノートも、装丁は凝ってるけど中身はあんまり好きじゃない感じでした。

コクヨの原稿用紙は安いので、書いたら捨てるような記事やレポートにはいいと思う。
万年筆でもいけるとは思ってなかったんだけど、結構ちゃんと書けるし。
だから普段使いにはコクヨの原稿用紙で十分かなって思うんです。
今回いろいろ探したのにはちょっと理由があるんですけど、その理由はまあいいとして、
原稿用紙なんて今はもうほとんど使われないんだろうなって感じがしました。
さがしても、ないんですよね。コクヨとアピカは学童用でもってるからなぁ。
でも、原稿用紙の使い方だって、きっと教える必要なくなってくるだろうし……。

もちろん、原稿用紙ってものは活版印刷の頃に出来たもので、
いまのデジタルの時代にそれが失われていくのは当然だとは思うけど。
句読点の打ち方にしても、段落のつけ方にしても、
およそ原稿用紙を基準にしてつくられた日本語の規則は、印刷業界の都合が大きくて、
それでもたしかに、それが日本語の決まりとして定着していったというのに。
まあだから、文科省の言ってる事と食い違うことも少なからずあるわけで、
それが混乱を招いてる部分も否めないわけですがね。

ところで、原稿用紙はほとんどがB判なんですが、最近はA判も作ってるみたいですね。
ということは、まだ需要はあるってことなのかな。
ただ、やっぱり買いやすいのがB判だから、どうもB判にしちゃいます。

面接試験→神楽坂

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秘書検定準1級の面接試験を受けてきた。
結果は惨敗。合否通知を見るまでもない。
もう一度勉強しなおす。

土曜日だというのにスーツで都内。
都会のテンポは合わない。
遅すぎる。あるいは停滞している。
もしくは、あまりに速すぎて止まって見えるのだ。
どちらにしろ、滞って見えることに変わりはない。

都内に出たついでに心療内科に薬を補充しに行って、
その足で神楽坂を昇ってきた。
かの夏目漱石も愛用した原稿用紙を販売している文具屋さんがある。
もっとも、「かの」というほど私は夏目漱石を偉人だとは思っていない。
野口英世にしてもそうだけど、日本における偉人伝は少し見直した方がいい。

原稿用紙に関してはまた別のエントリーで触れるとして、
ともかくB5の200字詰め原稿用紙を300枚仕入れてきた。
途中で落ち合ったウシロに、
「会うたびに人を撲殺できるほど紙を持ってるのは如何なものか」
と戒められた。

活動の周期を誕生日で区切っていたため、
期が切り替わる2月は例年何かのイベントがあった。
個展だとか、同人誌の発行だとか。
だから、年末から1月の間は別々に過ごして、2月にウシロと合流するのが恒例だった。

今年は何もない。
期のカウントもやめた。
自分が、まるで何事かを成しているかのように錯覚する下らないことは、全部やめてしまいたい。

最近、死に瀕している自分をよく想像する。
まさに数秒後に死ぬだろうというとき、私にはそれが解るだろうか。
そんなことを考えながら、ノートや原稿用紙を広げる。
思考が絡まりすぎた時のおまじないのようなものだ。

それを語るとウシロは、
「だからといってその量は多い」
と、原稿用紙の束を指差して私をたしなめた。