悲願の。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
「ムカデ人間2」を借りました。わーい。
もう本当どこ探しても無くて、どうせグロだし発禁にでもなったかと諦めてましたが、
いつも行ってるTSUTAYAが棚変えして、作品が入れ替わったので期待して探したら、
あったー! あったよー! 1も2も2本ずつ置いてくれてる! 素晴らしい!

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
あまりに嬉しかったので、使命感に駆られてカレーを作りました。
ローソンのシールを集めて貰ったミッフィーのカレープレートも大活躍。
食べながら見る勇気はなかったので、新作予告を見ながら食べたけど、
新作予告もぜんぶことごとくグロだったので笑っちまいましたよ。

見終わった感想としては、だいたい前作と同じで「雑で可愛い」って感じでした。
もちろんグロだし、痛くて汚い過激な描写だらけですけど、全体的に可愛い。
前作よりも描写は過激です。
主人公マーティンには精神的にだいぶ重いバックグラウンドがあって、
肉体的にも精神的にも痛い場面はたくさん出てくるので、
心臓の弱い方や体調のすぐれない方はご注意くださいって言われるのも納得です。

それにしてもなー。
もとはといえば、前作でヨーゼフがあんな適当にホチキスでバチンバチンやるんじゃなくて、
もっと緻密な計画を立てて繊細に超難しい医療手術っぽくやっておけば、
マーティンだってあんないい加減にバチンバチン繋げようなんて思わなかったんじゃないのかと。
あと作中何度も「医学的に可能」って言葉が出てくるけど、
「人は人の排泄物を摂取するだけでは生きていけない」ということに早く気付いてくれよ。
3人だって最後尾の人は栄養失調になったのに、12人つないだら最後尾まで栄養届きません。
ぜんぶヨーゼフが悪い。もう、ばか!ばかヨーゼフ!

ところで、ほんとにヨーゼフ画伯のムカデ人間イメージイラストが大好きです。
いいかげんすぎる。
「人間をつなげたい!」っていう熱意のわりに計画と設計図が超雑なところが素晴らしい。
あと、ムカデ人間の繋がってる前後の人同士に芽生える友情も好き。
手を握り合うところなんか、前作でもあったけどぐっときますね。

「ムカデ人間3」も撮影中だということなんですが、次回も雑で可愛い映画であることを祈ります。
人と人との繋がりを大切にするシリーズです。幸あれ。

Post from E-mail

I was post blog-entry from E-mail sometimes.
I used WP plug-in “Ktai-Entry”.
That is very good tool but for old version of WP.
He is keep silence On new version WP.

I searched other plugin what post from E-mail.
But I can’t find anything.

Now, I try to post blog-entry with one of web service.

When I speake a poorly English, I post from E-mail with that service.
Because Nippongo ga moji-bake suru.

PoICの。

140124_2315~001.jpg

ボトルネックを解消したくて、ようやく本腰入れてケースの中を整理しました。
まだカードの枚数がこんなもんだからなんとかなった。
カードのスタックの方向を逆にしていたので並べ直したり、
仕切りカードを入れたり、パーティションを切ったり。
やっとなんとなくスッキリしましたよ……。
ずっと手探りでやってるけど、丸一年試行錯誤してやっと落ち着いてきた気が。
まあ、そんなもんだよね、きっと。

本当はもっと早く、10年前ぐらいには身に付けておくべきだったんだろうに。
いわゆる「知的生産の技術」の必要性を痛感したのは、
本来それを痛感するべき大学時代を終えて10年も経った後だった。
ヤレヤレだ。

挫けそうになると情報カードや原稿用紙を買い足すよ。
白紙の紙を見ると文字で埋めたくて仕方なくなるから、歩みを止めないですむ。
カードを書く習慣をつけるために、一万枚の情報カードを発注するという梅棹忠夫氏の提案はまったく正しい。

はれひめ

140123_2058~001.jpg

(清見×オセオラ)×宮川早生 だって。
普通のみかんにすりゃよかったよ。

水分と塩分を適切に摂取していれば1ヶ月食べなくても死にゃしないという情報に励まされ、
いまちょっと食べる量を減らしています。
わたしがこう言うと拒食を疑われますが(笑)
うつ病と不眠症は深刻だったけど摂食障害にはならなかったので違います。
このうつ病の話もそのうちブログに書きますが、毎度馬鹿馬鹿しい話です。
いま思えばね。辛かったときは本当に辛くて仕方なかったけど。

元気になるためにたくさん食べるなんて嘘にはもう騙されないぜ。
平沢進もそう言っている。
わたしはベジタリアンではないけど。

ベジタリアンではないけど、元気になるために肉を食べるなんていうデマも信じない。

なにかなぁ。
例えば深呼吸にしても、「大きく吸って吐いて」なんてやったら絶対落ち着くわけないのさ。
まず吐いて、吐ききったら、空気は自然と入ってくるから、意識して吸う必要はないの。
頑張って摂取しようとする必要はないと思うのね。
自然とそうなるのに任せると、気持ちが穏やかになるよね。

とか、まあ、それでも始終イライラしてるし疲れてるんだけどヽ(´ー`)ノ

摂取しようと頑張るのをやめたら、ちょっと気が楽になったのは本当です。

「おあいそ」「とんでもございません」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ハエトリソウの牧野くんを新居に移しましたよ。
根っこを傷つけてしまった気がして眠れない日々が続いていましたが、
数日たった今も同じような姿でスーンとしてるので大丈夫だった模様。
休眠中なので小さいです。暖かくなればもっとわさっとした葉っぱが出てくるはず。
可愛いよ。

思えば、サボテンを枯らす自分に植物は無理だと落ち込んでいたときに、
「サボテンは意外と難しいよ、多肉植物なら簡単だよ」という悪魔の声を聞いて多肉に手を染めるも、
スパルタ放置プレイにも関わらず、増えに増えまくる多肉に畏敬の念すら抱いて数年。
「いまならきっと植物を育てられる!」という勘違いのもとに、
去年2株買って1鉢に植えこんだハエトリソウ。1株は夏を越えずに死にました。
まさかねぇ、ゲリラ豪雨のときに捕虫葉に雨粒が当たりまくって、
開閉しまくっちゃった疲労で株全体が枯れるなんてねぇ……。びっくりだよぉ……。
だから、夏休みにホームセンターでハエトリソウを見かけても、捕虫葉は絶対に触っちゃだめだぞ。
かみおさんと約束だ。

ところで、話しは全然違って、
「飲食店で客が店員に『おあいそ』って言うのは失礼だ」っていう言い分が気になったので、
ちょっと調べてみたところ、その主張にはだいたい2通りあることがわかりました。
私自身は、別にそんなんどうだっていいじゃんって思ってるので、
「客が言うな、失礼だ」なんて言ってる人を見ると、なんでそう思うのか疑問です。
まあ、そういう人に「なんでなんで?」なんて聞くとめんどくさいことになるので聞かないけど。

2通りあるっていうのは、「愛想尽かし」っていう言葉に2つの用法があるからなんだな。

1つ目は、かつてお店の側から客に勘定書を出すときに、
「どうも愛想のないことで」と前置きした(したらしい)ことから派生して、
「あのお客さん、おあいそね」とお店の中で言うようになった、というもの。
それが、お客の方にも広まって、お会計=おあいそ と言うようになったという説。
「お客の方も言うようになった」っていう歴史があるなら、
「失礼だ」っていう発想にはならんと思うので、ちょっと怪しい。
まあ、本来お店側の用語を客が言うのは滑稽だっていう意味なら納得できるけど。
ドトールでコーヒー注文するときに「ワンブレンド」とか言うようなもんだろう。
それは恥ずかしいな。

2つ目が、「歌舞伎の愛想尽かしが語源」という説だけど、
これは完全に話が成り立たないので指摘しておきます。
本来の「歌舞伎の愛想尽かし」を完全に取り違えているので成り立たない話なんだけど、
ともかくそれが語源だという人の説でいくと、
客がお店に「おあいそ」と言うのは、「こんな店二度と来るか!」って意味だから失礼だ、と。
つまり「もう愛想が尽きた」という宣言だと言うわけですな。
でも、これは完全に間違えですよ。

歌舞伎で言うところの「愛想尽かし」というのは、むしろまったく逆で、
女が愛する男と義理の為に無理矢理別れようとして、わざとつれない素振りをすることを言います。
そういうけなげな女性の姿がぐっとくるわけです。
これが語源だとすると、客がお店に「おあいそ」と言うのが失礼だ、なんて理屈にはならんわけです。

まあ、でも、言葉ってのは生き物ですからね。
時代によって使い方が変わっていくのは当たり前のことだと思うんです。
それを、その言葉をよく知りもしないくせに誤用だと騒いで糾弾するのは、良くないなって思います。
だからこそ勉強を続けなきゃいかんなって思うわけです。

よくビジネス用語で誤用として槍玉にあがるのが「とんでもございません」って言葉で、
これは「とんでもない」を丁寧に言おうとして間違っている言葉として有名だけど、
それでもこの言葉は最近ではどうも市民権を得てきているんですよね。
「とんでもない」は「あぶない」と同じかたちの言葉だから、
「ない」部分を切り離して「ございません」とすることはできません。
「あぶない」を丁寧に言う場合「あぶございません」とは言わない。
「あぶのうございます」と言うわけです。
だから、「とんでもない」を丁寧にすると、「とんでものうございます」。
あるいは、「とんでもないことでございます」になるのです。
でも、ビジネスの場面では「とんでものうございます」と言うよりは、
「とんでもございません」って言ったほうが簡潔で語感がよく丁寧な感じがする。

この「感じ」っていうのは、どうしても言葉のルールには当てはまらないものもあるんですよね。
音とかリズムとかっていうことが深く関係してるから、
書き言葉が重要視される日本語のルールとは相容れない部分が少なからずある。
だから、そのうちこの「とんでもございません」が許容されることになっても、
それはそれでいいことだって思うんです。誤りだと解っていながら使う分にはね。

ただ、やっぱ「ら」抜き言葉のたぐいはどうしても嫌いです。
こればっかりはどうも、国語として許容するようになったとしても私は無理です。
生理的に受け付けない……。気持ち悪いもん。
とくに言語として日本語が好きだというわけではないんですが、
生まれてからずっとこの言葉で育ったので、愛着があるぶんいい加減には使いたくないです。
ブログやTwitterなんかは、話し言葉みたいなもんで書いてますけど。どーもね。

SUBWAY

140122_1733~001.jpg

三度のメシよりパンと野菜を愛すると言う割りにはケンチキ派だ、と罵倒(?)されてサブウェイ。
サブウェイ好きだしカードも持ってるっちゅーねん。

そういえば最近、ほとんど肉を食べません。
別にダイエットしてるわけではない。
穀物と野菜がうまいよ。
ファッキンアレルギーのせいで痒くなることはあるけど。
知ったことか。食いたいから食う。

ちょっと前まで、何食べても美味しくないし食欲もなかったんだけど、
美味しいとか食べたいとか思うようになったのは、上向きの証左かな?

これで睡眠さえとれればねぇ。
15年間も精神安定剤と睡眠薬に責任転嫁して生きてきたから、
完全に断つのはなかなか難しくてどうも。
薬がどうこうじゃなくて、「薬を飲まないと眠れない」自己暗示がスゴい。
試しに飲まないで布団に入ると、ものの数十分で「薬飲まなきゃ」って強迫観念で動悸する。
飲んでもどうせ眠れないし、眠れないのは薬のせいじゃないのにね。
だって効かない効かないってどんどん強い薬になるわけだから、絶対に薬のせいじゃないですよ。
眠れなかったら薬を増やすんじゃなくて、原因を見誤ってるって認めないといかんのよ。
今年こそは断薬したいもんです。
まあ、せいぜい気長にやりますがねヽ(´ー`)ノ

紙のストック

140120_1811~001.jpg

会社でお煎餅のカンカン空いたやつもらってきた(お歳暮の)ので、
5×3情報カードと測量野帳のストック入れたらちょうどよかったよ。
だいたいこれで一年ぶんかなぁ?
情報カードはまだちゃんと運用できてないからわからないんだけど、まあ1年はもつだろう。
あとこの他に写真用紙とかリーガルパッドとか原稿用紙とか、
冷静に考えるとすごくすごい量を持ってる気がしてきた。
個人でそんなに要るのかよっていう。要るから持ってんだけど。
情報カードはあと6×4とB6も使ってるしな……5×3ほどは使わんけど……。

まあ、使うから大量にストックしてるってのはもちろんなんだけど、
時々ストックを広げて眺めるのが最高に幸せってのも理由の1つだな(;´ー`)

カホン

140115_0017~001.jpg

なぜか大昔に挫折したハンドパーカッションをまたはじめた……。
タンバリンとか持ってたの全部手放したんだが、まさかカホンとはね。
最後まで楽器屋でジャンベと迷ってたけど結局カホンになったね。ポンポコ。

FUN BOXなんでミニバイク乗ってるみたいになるけど楽しいよ。
わーい、今年は不安だらけだけどがんばろー。

FRISK……。

140109_1042~001.jpg

学生の頃、大人ぶりたくてよく持ってた気がする。
でもからくて全部食えたことはなかった気がする。

先日の一件から精神安定剤を見るのも気持ち悪くなったとボスに相談したら、
「FRISKをデパスだと思え。大きさも似てるし」と適当なこと言われたので実践している。
もしかしてこのままいけば断薬できるんじゃねーの?

入眠剤に至っては、年末ごろから飲んでも飲まなくても眠れない。
結局明け方起きてストレッチしてから数時間寝る毎日。
もしかして入眠剤飲まないではじめからストレッチして寝たら眠れるんじゃねーの?

ひょっとしてこれ純金じゃねぇの?(純金じゃない。

レンタルDVDマラソンというゲーム

140108_2327~001.jpg

正しく理解していれば、あるいは、自分の思うようにコントロールしようとさえしなければ、
これは非常に熱中できる創造的なゲームだと私は思う。
私の場合、記録カードをためているので、ある意味トレーディングカードゲームとも呼べる。

最も重要なのはリストだ。
というか、リストの理解を誤ったらその瞬間にゲームオーバー。
そのリストは破棄して、また次の機会を伺うしかない。
次の機会はいつ来るか解らない。
リストがあるかぎりはいつ中断しても構わないが、一旦ゲームオーバーしたら自分から再開することはできない。
リストには、主に映画好きな友人からの茶々入れという邪魔が入る。
これをしりぞけられるかどうかがミソだ。
リスト破棄のタイミングはすぐに解る。
ただ単純に「嫌気がさす」からだ。

リストは作ろうとしてはいけない。
自然とタイトルが積み重なってくるので、作る必要もない。
覚えておくのが面倒だからリストを作っただけで、はじめに在ったのは「感情」と「意欲」だけだ。
それに従ううち、自分の意識や生き方に沿って自然とタイトルが集まってくる。

「自然とそうなる」というのは初めは心許なく感じるが、慣れれば面白い。
コントロールしようとしないで成り行きにまかせると、次第にリストは自分との対話だと気付く。
これはそういうゲームだ。

たのしいよ。