コミケ期間中ですし、著作権の話題でも。

PC270410
新宿三丁目。で、見かけた背中。
この手前にラブホテルがあってですね。はい。

PC250409
そんなことより、壇蜜さんに誘われてFRIDAY。
このひと本当に好きなんです……。美しいし面白いし美しいし。
どっかの誰かが、
「外見の美しさは問題じゃない。内面の美しさが外面に現れるのだ」
とか言ってて、「結局人は外見ってことだろ!」って突っ込んだんですが、
壇蜜さん見てるとそれってほんとうなのかもなぁって思っちゃう。
ただの惚気ですが、私の恋人も大層美しくてですね。
あなたはそんなに美しくて一体どうするつもりなのって常々思ってます。
あのひとも内面の美しさが隠し切れずに出てきちゃってる感じだもんな。
どんなに外見が整ってても、中身が伴ってないと美しく見えませんもんね。
って、恋人の話題はちょっと控えてくださいってウシロノヒトに言われてたんでした。
知るか。

そうそう、こうやって雑誌の表紙画像をブログとかに載せるのって、
著作権的にどうなのってちょっと調べたんですが、どうもダメっぽいです(ぉ
一応、これ著作権の侵害になるとです。中身なんかは載せたら即アウトです。
ただ、表紙は普通に店頭でも目に入るものだし、中吊りとかにも載ってるし、
その雑誌の誹謗中傷記事書いたり、購買妨害をやらなければ黙認って感じらしい。
これも本当は出版社に問い合わせて許可を得るってのが本来なんだけども、
個人のたいしてアクセス数もないような記事でちょっと触れる程度だったら、
いちいち問い合わせてくんなくても別に訴えたりはしない、ぐらいの。
ただし、袋とじの中身載せるとかは絶対やっちゃだめですけども。
まあ表紙ぐらいだったら、っていう、要するにグレーなんですね。

著作権ついでに、TSUTAYAのレンタルCDってどうなの?って疑問も解消しといた。
あれ、聞くだけで返すもんだとずっと思ってたんですよ(笑)
ウォークマンとかに入れるのって大丈夫なの?ってずっと疑問で。
私的複製権がありましたよねー。じゃあレンタル料ってその権利料なんかな?
ってことは、結局レンタルCDで聞いてもアーティスト本人には何のお金も入らないってことか。
その辺は、古本で買って読んでも作家には一銭も入らないのと同じだよね。
応援したい人のものは必ず新品で買ってるけど、その姿勢は継続しなきゃだわ。

で、疑問が解消したのでレンタルCD借りてみたんですー。
ずっと気になってはいたけどってやつ。
凛として時雨と、フジファブリックなんですけど。
ピック買ったのに一曲も聴いたことがなかった(笑)凛として時雨は、
ネット見たらなんか叩かれ気味で厨二バンドとか書かれてて、
だいぶ不安は不安だったんですけど、聴いてみたらまあ好きだった。
たしかにちょっと不快感があるな。まあでもそれくらいないとつまらん。
フジファブリックは、借りに行った時に一緒に居たケンさんに、
「お前が聴く感じじゃない」「俺は好きにも嫌いにもなれない」って言われて、
私が聴く感じってどんなやって思いながら借りてみた。私は音楽は雑食だからな。
まあ、聴かない感じではないし、嫌いでもないんだけど、うーん。
もうちょっと聴いてみないとわかんないなー。
最近、ウォークマンの中身に飽きてきてしまってて(語学系が多いせいもある)、
新たな音楽領域を切り開いていきたいので、何かオススメあったら教えてください。

ひとやすみ。

わたしはもうじゅうぶんがんばったんだ。休んで何が悪いんじゃい。
って、自分に対して居直らないと休めもしない私です。
そんで、鬱まっしぐらに落っこちて、
ここ二週間ばかり延々と泣き続けるっていう週末を過ごしました。
でもそのおかげで今日あたりから浮上できてます。
鬱になるときって、たいてい限界超えて頑張りまくった後なので、
鬱になったら諦めて休むって開き直ろうって最近思ってます。
そもそも、うつ病自体はまあ、それなりに克服してて、
あとは再発を何度も何度も繰り返しながらそれなりになってくだけと思うので。
一気になおそうなんてねー、無理ですよ。
それでも不眠症は治したんだし、眠れないことって無くなったし、
眠れてるだけいいんじゃないのって。

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ピック買ったよ……! ぱみゅピックと、凛として時雨。
黒いヤツはいつも使ってるやつ。
楽器屋の兄ちゃんにオススメしてもらったの、使いやすい。
でも可愛いのが欲しかったんじゃい……。可愛いのだ。
最近、またギター練習再開してるんです。エレキです。
って言うと、「エレキギター弾けるんだー」って言われるんですが、
弾けませんよ。弾けないから練習してるんです。OK? 弾けません。

思えば、そう、去年のクリスマスでしたね……。
モトオットにこのエレキギターを買い与えられたのは……。
あのときに、離婚の意志が萌芽しはじめてはいたんですけど、
でも、手元に演奏できない楽器があるって、ちょっと救いです。
今みたいに、鬱でどうしようもない上に創作意欲も皆無で、
読書も勉強もやる気が起きないときに、生きる気力を保つ方法っていったら、
もう編み物するか楽器やるかしかないですからね。
で、興味はあれど私の財力では、エレキギターなんか手が出なかったので、
その点はとても感謝していたりするのです。ありがとう。
モトオットに対して感謝してることって結構多くて、
別れたけど、はじめから出会わなければよかったなんて思っていないし、
むしろ本当に出会えたことは幸福だったと感謝しています。
離婚したことも、ぶっちゃけ後悔してる。
ただ、離婚しなかったらしなかったで後悔したと思うので、
後悔はしてるけど、離婚しなければよかったと思ってるわけでもない。
ふとしたときにものすごく悲しくなることはあるけど、
でも、まあ、死に別れたわけでもないし、
縁があればまたどっかで道が交わることもあるんじゃないかなぁ、なんて。
知らんけど。

どうにかしようとすればどうにもならなくなるし、
何とかしようとする努力は、たいてい無駄な足掻きにしかならない。
求めることをやめて、足掻くことをやめても、それは投げ出すってことじゃない。
捨てるのではなく、手放すのだと。次の一歩の為に。
「自分自身を信じて」と、Alexに言われた言葉を何度も思い出す。難しいね。
いまは、ちょっと休憩します。

死体と人形

PC200406
東京展の先輩で、関西展の方からお手紙を頂いて、
四谷シモンさんの人形のポストカードを一緒に入れて頂いてしまいました。
ありがたいです。ありがとうございます。シモンさん好きなんです。
もうすこし精神的に浮上したらお返事いたしますが、
精神的に浮上する前に書いておこうと思ってた記事があったのでブログを先に。

私は人形の写真を作品として出してるわけなんですが、
やはりよく言われるのは「人形は展示しないのか」ってことで、
何度でも言いますが私は人形は展示しません。
必ずどうして展示しないのって聞かれるんですが、どうしてもとしか言えません。
どうして私が人形の写真を展示して、人形を展示しないのか、
その理由なんて、私が一番知りたいです。
生理的に無理っていうのが一番しっくりきます。
人形の写真は人目に晒す為に撮っているけれど、人形はそうじゃないし、
こんな死体みたいなもん見てどうするのっていうのが本音だったりします。
どうせ「ふーん」「へー」ぐらいしか言われないでしょ。
いま私が「見せません」って隠してるから見たいような気になるだけで、
隠さずオープンに見せてたら、別にこんなもん見たってどうってことないですよ。
って、いうのが、まあ、本音です。
私の人形なんかより、他の人形作家さんの人形見たほうが何倍も綺麗ですよ。
オビツボディのカスタム人形なんて展示したってどうしようもないでしょう。
なにか意味があるような気がするのかもですが、それは私が隠してるからです。
で、私が隠してるのは、意味が無いからです。
以前、私がずっと在廊する個展なんかでは、人形もずっと連れてたんですけどね。
個展会場で作品撮りしてたっていうのもあるけど。
最近は時間が取れなかったり体調が悪かったりでなかなか在廊できなくて、
それで「なんで人形見せてくれないの?」って言われることが増えたかもです。
ずっと人形連れてた頃は、当たり前だけどそんなこと言われなかったし、
私が自分の人形に対してどういう態度で接してるかを見せてたので、
「『展示』しないの?」なんて質問はまず飛んでこなかったんですよね。
まあ、たぶんこれは自分が悪いんです。
人形に対する態度も最近ちょっと雑になったしな。
前は自分の人形を他人に触らせるのも嫌だったよ。そりゃ今も嫌だけど。
「触るな」って言える立場にない場面が多くて。
あーあ、この人形に対するスタンスは変えるべきじゃなかったなって、後悔してます。

とはいえ、もうすっかり創作意欲がありません。何も創る気が起きません。
しばらくは作品とかなんちゃらっていうことはもう考えないで、
私が作品なんか創り始める前の考え事に立ち返ろうと思っています。
考え事あっての創作だったんですけど、いつの間にか作品を創らなきゃってなってました。
それじゃ本末転倒なんですよね。私の創作は、創作であって創作じゃないんです。
そのことをいつの間にか忘れていたんですよね。いけません。
どこから本筋に戻っていこうかなって、今はまだ手探りです。
でも、やっぱり死体から戻っていくのかなって気がしています。

私が人形を撮ってることに関して、神尾っていう活動名義のせいもあってか、
いわゆる「ヒトガタ」っていうアレを連想される方も多いんですが、
どちらかというと、私は死体の方をイメージしてるんだと思います。
あ、もちろん、「魂の入れ物」的な意味合いでは、
ヒトガタを連想している部分も多少はあると思いますが。
アンドロイドとかロボットとかいうアレについても考えてはいますよ。
まあいずれにせよ、「ココロ」や「イノチ」と「カラダ」を切り離して考えてしまうと、
それってつまり「中身」と「ガワ」って話になってくるわけで、
その「ガワ」が、人形か機械か、かつて生きてた人間かってだけのことじゃないのって。

死体には、特別な思い入れがあります。
その思い入れなんかは、別に私がずっと持ってればいいだけなんで、書きませんが。
「死」に対してもそうです。
そして「死」について考えるとき、どうしたって「生」について考えなければならない。
でも私は「生」を「死」ほどは愛おしいと思えていないからなー。
まだまだなんだろうなー。まだまだだー。

なーんて。これが考え事の導入。本筋に戻るためのほんの入り口。
この先が深くて暗くて長く険しい。でも楽しいのです。シッテル。
この考え事の最中に、また創作意欲が戻ってきたらいいなあって思いつつ。

うっかり、ちょっとした病気をやってしまったので、しばらく治療に専念です。
うつ病も再発してるけど、まあ、こっちはどってことない。再発には慣れてる。
治療に専念ったって、仕事には行かなきゃならんから、
どうにか無理だけはしないように気をつけなきゃなりませんがね。
SOSの発し方を知らないので、しんどい時ほど一人になろうとしてしまうま。
本当にダメになったら、どっかの山奥とかに行こうと思う……。
アパートで腐乱死体は近隣の迷惑だしな……。いや、この季節に腐乱は無理か……。

……冗談ですよ?

銀座鬱。

PC060398
銀座は嫌いだ。ここにいると頭が痛くなる。
できれば一秒も居たくない。
それなのに、この場所に行かなければならない用事は多い。
頭が痛くて、吐き気がして、冷や汗が出る。
呼吸が苦しくて、座り込んでしまいたいのに、
そうしてしまえばもう立ち上がれなくなってしまうから、
顔をあげて、無理にでも胸を張って、早足で歩く。

この場所に居るときの自分も嫌いだ。
虚勢を張って、すぐに露呈するウソを隠してるみたいに、
逃げ腰のまま肩をいからせて、胸を張ったつもりでいる。
泣き出してしまいたいくせに、怒ったような目つきで、
のっぺらぼうの顔に、娼婦みたいな笑顔をペイントしてる。
高いヒールで歩道を鳴らしながら、威嚇するみたいに歩く。
馬鹿馬鹿しい。とんでもない阿呆になった気分だ。

いつだって、自分のことが一番嫌いだ。
こんなんだから、他の誰のことを好きだと言おうと、
それは口先だけのウソだとケンさんは言う。
ウソじゃないんだよ。ただ、口先だけというのは本当だ。
なぜなら、好きになりたいという、これは願望だから。
いつだって、一番許せないのは自分自身だ。
他の誰のことを憎もうと、恨もうと、そんなことに意味は無い。
許せないのは自分。許したいのも自分。すごく難しいよ。
自分のことも許せないのに、どうやって他人を受け入れようというんだろう。
でも私は性懲りもなく恋に落ちるし、誰かを求めてしまう。
そのたびに罪悪感と戦わなきゃならない。さっさと許せれば楽なのに。
いや、わからんけど。自分を許せたからって楽になれるとも限らんけど。

《愛》という言葉に憧れる。
まるでクリスマスイルミネーション。暖色系の、またたくヤツ。
とろとろのチョコレートフォンデュ。甘いマシュマロ。
カラフルなマカロン。あたたかいふわふわのセーター。
そんな風に、私とは決定的に隔たったものとして憧れている。

やっぱり、一度リストカットをしてしまうと、どんどん鬱に逆戻り。
だからほんとに、あんなことはやるべきじゃない。めんどくさい。
またやり直しだ。相当まえの時点から。同じことを何度も、何度も。
意味のわからないことで何日も泣き続けなきゃならない。
ちくしょう、二度とやるもんか。
こんな状態で銀座になんか行ったから、帰ってからちょっと放心してた。
こんなときに、誰かに傍にいてほしいなんて思ってしまう。
バカみたいだ。もっとしっかり立てるようにならんとな……。

せめて普通に一人で銀座に行って帰って来られる程度にはなりたいもんです。
よっぽどずっと傷ついた顔をしてたみたいで、
今日夕方まで一緒に居てくれたケンさんは、私の顔を見ては爆笑してましたよ。
ほっとけ。