あいかわらずです。

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いま編んでいる段は、次の段をアフォードしている。

誰かが描いた編み図に頼らず、ただ思うままにレース糸を編んでみようと思った。
本展に展示する作品で、どうしてもレースが必要になったのだけど、誰かが描いた編み図にも誰かの著作権があるのだと思い付き、
人形の写真を展示するにあたって人形を作り始めたのと同じ理由で、私はレースを編み始めた。
編み物自体は数年前から始めていて、何の予感があってか、レース糸は大量に買い込んでいた。
いままでは誰かの地図をなぞっていたのだが、編み図も描かず初めの一段目だけを決めて、二段、三段と編み進むにつれ、この編み目は次の編み目をアフォードしているのだ、と思い付いた。

どんな編みかたも選択できるはずなのに、なぜか指先が選んでいく編み目。
初めは全く思い描くこともできなかったのに、着実に描かれていく模様。
どんな在り方も選択できるのに、いまこの在り方を選択していく自分自身のことを、どうしても想わぬわけにはいかない。
そしてその選択のひとつひとつが、私の人生を、私自身を、その内外の評価や、自覚を、描き出していくのだ。

心とは一体何で、どこにあるのか。
命とは一体何で、何をもって表せるのか。
そんな問いを、ずっと問うてきた。
そして、その問いが、そもそも問いとしてそぐわないことに気づき、それでいて、それを問わずにいられないそぐわなさを知った。

言葉はいつだって軽々しい。
一見意味ありげな重い言葉でさえ、口にした途端に掴みようのない幽霊のようなものになってしまう。
心も命も愛も、言葉にしたとたんに胡散臭くなる。
それでも、そんな軽々しい言葉が、識別記号に他ならない誰かの名前が、何もかもを変化させてしまうその瞬間を、私は知っている。

あの身を裂くほど慟哭を、忘れられるものか。
喪ったと知った、あの痛みを。取り返しのつかない喪失を前にして、襲いかかる空気の重さを。
不意に自覚する呼吸を。鼓動を。意思で制御のできない涙を。叫びを。
忘れるものか。

痛みにまみれた、泥沼の底をさらうような創作活動だけれども。
ともかく。
ブログを書いていなかった7か月間、ほんとにいろんなことがありすぎたのだけども、かんがえてることは相変わらずです。
来月また、上野の東京都美術館でお目にかかりましょう。